明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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脳のメモリー

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森田療法、内観療法、マインドフルネスなど様々な精神療法の源流であり、どうにも湧き出て止まることを知らない自分自身の煩悩と向き合いたいという思いもあったことから、先日1週間ほど臨済宗のお寺に禅の修行にいってきました。
厳しい作法や座禅、作務などを通じ、食べること、人と接すること、身の回りを整えることなど、生きることそのものを見直すきっかけができてとても貴重な体験でした。わけもわからずバタバタしている人やモヤモヤしている人におすすめです。


修行体験の中で1日4時間ほど座禅をくむのですが、その中で痛感したことが”いかに自分の脳がうるさいか”ということでした。姿勢を正し、呼吸を整え、ひたすら無になることを目指すのですが、これが本当にできない。「深く静かな呼吸、呼吸、呼吸」と意識を集中させようとしても、気がついたら「終わったら何しよう」とか「足痛いな」とか「自分はなんのためにこれやってるのかな」とか考えており、果てには男闘呼組(おとこぐみ)の”TIME ZONE”まで鳴り響くしまつ。「なんでだよ!古いよ!」と思いまた呼吸に集中するのですが「むねにあいを、きざむぜ、ウォウォーウォウォ、ウォウォーウォウォ、ウォウォーウォウォウ、It's TIME ZONE!」が頭から離れず「歌詞全然意味わかんねぇ!『ウォ』ばっかりだな!」と心の底からどうでもいいことばかり考えてしまっていました。

どこまで個人差があるのかわかりませんが、少なくとも自分の脳は常にあちらこちらに気が散っており、静穏とはほど遠い状態のようです。おもしろいゲームをしているときや仕事にはまり込んでいるときなどは集中もできるようですが、勉強をしたり気分の乗らない作業をしたりしているときは脳がすぐに余計なことを考え、いつの間にかスマートフォンを眺めてツイッターやインスタグラムを開いてさらに余計なことばかり考えています。どうも疲れているときほどその傾向に拍車がかかり、更新されないタイムラインを眺めては今すぐ必要のない情報に満たされるはずもないなにかを満たそうとしてしまいます。
イメージとしてはパソコンでひとつの作業をしているのに雑念という関係のないアプリが次々と開き、画面がウインドウで埋め尽くされ、勝手に開いた方のアプリにとらわれてメインの作業が一番下に埋もれてしまうような状態です。当然アプリを開くほどメモリの使用量は多くなり、作業効率が落ちる上にエネルギー消費量も多くなります。疲れてメモリを節約しなければいけないときほど集中力は散漫になって不必要なことばかりしてしまい、自ら脳に余計な負荷をかけ続けているのです。
以前から自分の集中力の低さにはほとほとあきれていたのですが、これに気づけたことで集中できていなかった理由がなんとなくわかった気がしました。

そうなると、この状況を解決するために必要なことは”①余計なアプリを開かないこと”と”②開いてしまったアプリを閉じること”です。
①ができれば常にひとつのことに集中でき、最も負荷がかからない状態になれそうですが、これがすごく難しいというか、おそらく脳自体がそういう風にできていないようです。周囲の状況に何パーセントかだけでも注意を向け続けることは生物として非常に重要であり、毎回ひとつのことに100%没頭してしまっては突発的な危険から身を守ることができず、おそらくそうならないように脳を作り上げているのだと思います。雑念はマルチタスクをこなす上での処世術でもあり、それを今さら自在にコントロールすることは難しいようです。
ただ、いわゆる”ながら作業”はわき上がってくる雑念以前にいきなりドン!ドン!と複数のアプリを自ら立ち上げているようなものであり、これは明らかにメモリの無駄遣いです。私自身これまで”音楽を聞きながらスマートフォン片手に勉強”とか”テレビを見ながら電話をしながら夕飯の支度”とか離れ業のような作業をしていましたが、この”ながら”を極力減らすことを習慣化できれば、必要な作業に脳を集中させることはできそうです。

一方で②の方法は比較的やりやすく、効率を上げるための即効性も高い方法な気がします。
例えば、勉強のための難しい本を読んでいた場合、10分もするとすぐに脳が目の前の難解な現実から逃げ出そうとし、「お昼何食べようかなー」とか「メールの返事書かなきゃなー」とか「Facebookにいいね!ついてないかなー」とか「息抜きにゲームしたいなー」とか考え始めて、ついついスマートフォンに手を伸ばそうとしてしまいます。ここでこれまでの自分であればその欲望にそのまま負けて貴重な数十分を費やしてしまうか、もしくはその欲望が出っぱなしの状態でなんとか抗って押さえつけようとするようなことをしていました。しかしそうではなくスマートフォンのバックグラウンドのアプリをスイスイと閉じていくように、自分を翻弄しようとする脳の活動をひとつずつ閉じていくことができれば、負荷を減らしてまた作業に取り組むことができそうです。
そのための方法は様々であると思いますが、おすすめのひとつとして禅で学んだ呼吸法は非常に簡便で有効な手段です。姿勢をただして目を閉じるか半開きにし、横隔膜が軽く痛くなるほど大きく息を吸い込んで、息苦しさを感じるまでゆっくりと吐く。これを2、3度繰り返すだけでも脳が鎮静化することが感じられ、煩悩を多少ごまかすことができるようです。


私自身修行体験から帰った後、上の二つを意識した生活を試みています。生活がすっきりとする反面、これまで”ながら”でしてきたテレビや漫画やスマートフォンにもカチッと時間を割り当てているため、逆に効率が悪くなっている部分もあります。自分にとって無駄なことと必要なことを分別し整理し、美しく整ったライフスタイルを目指す機会とも考えられますが、あんまりすっきりし過ぎても面白くなくなるんだろうなという迷いもあります。

禅の食事(異常に厳しい)のように一切しゃべらずお椀をひとつひとつ両手でとって背筋をのばして集中して食べることも大切ですが、居酒屋であれこれ頼んでみんなでワイワイと食べることもまた楽しいです。業としての煩悩や欲望は避けがたく多くのストレスを産みますが、それを排除しようとしすぎることで失われる豊かさもあります。中途半端な取り入れ方をすることは思想的な価値を損ないかねないし、かといって”無”の状態を究極まで突き詰めることはひとつのものを徹底的に蒐集するコレクターと変わらないのかもしれません。
結局どこかで折り合いをつけないといけないのであれば、禅の思想もミニマリストもノームコアも目の前に大量に陳列されているスタイルのひとつであり、”消費しないスタイル”を消費している気持ち悪さも否めません。
今を生きることは難しい。住職さんいわく、生きることすべてが修行だそうです。合掌。

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