明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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ノーのない選択肢

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ある有名な会社のパソコンのOSを使っているのですが、何ヶ月か前から起動するたびに執拗にアップグレードを勧めてきます。
あるときは画面右下にニュッと控えめに現れ、あるときは眼前に両手を広げて立ちはだかるようにドーンと全画面で思い切りよく、文言も「アップグレードしませんか?」のような抑えたものではなく「百万人がアップグレードを予約しています」から「全世界で一億人が既に予約しています」とアップグレード(?)され、「あなたは世界のトレンドから乗り遅れてますよ。なぜアップグレードを予約しないのですか?さあ!さあ!」と圧力をかけてくるようです。さすがにうっとうしいので「今後このアイコンを表示しない」というボタンを探しましたが、これが無い。あるのは「予約する」というボタンだけで拒否の選択肢は与えられませんでした。ネットで調べて見慣れない手順で消す作業もしてみましたが、結局しばらくしたらまたニュッと現れてお手上げです。この強引さが世界一の大企業を作ったんだなあと感心していますが、この強引さが世界中でウザがられているんだなあとも思いました。

なにか頼み事をするなど、人に選択肢を提示するとき、大きくわけて三種類の方法があります。
ひとつは”イエス/ノーの選択肢を与える”、もうひとつは”イエス/ノーではない選択肢を与える”、そして最後は”選択肢を与えない”です。
例えばまだあまり仲良くなっていない女性を食事に誘う際「もしよければ今度食事にでもいきませんか?」と聞くのがひとつ目のパターンです。ノーの選択権を与えることで、相手の意思を尊重したい姿勢が伺えます。
ふたつ目は例えば仲のいい同僚と昼食に出かける際「お昼どうする?外で食べる?それともコンビニで買う?」のような質問です。このとき「お昼どうする?外で食べる?コンビニで買う?それとも俺とは、行かない…?」みたいにイエス/ノーの選択肢を混ぜ込むことで不気味な距離感が生まれてしまい、逆に不自然です。
みっつ目は部長がヒラ社員に向かって「木曜日おれとお前と社長でメシ食いにいくことになったから。空けとけよ」というような形です。相手の都合を意図的に無視することにより「これも仕事」という意識を強引に示すことができます。

こうした選択肢の使い分けはふだんあまり意識されることなく、たいていの人は相手との距離感や自分の立場などから聞き方を工夫して自然に使い分けることが身に付いています。
しかし改めて上の3つを比較した時に強く反映されているのは、相手に対する自分の”自信”です。

女性をデートに誘う際に「ノーの選択肢を与える誘い方をしてはいけない」となにかの恋愛指南に書いていましたが、例えば「もしダメだったら断ってくれたらいいんだけど、今度の土曜日よかったらお食事にでもいきませんか?」と提案するよりは「ふだん外食ってどんなところにいくの?」という話題から入り、盛り上がっていく中で「じゃあ今度いっしょにいこうよ、いつが空いてる?」と誘う方がテクニカルな気がします。
前者は相手がもしも乗り気でなかったり忙しかったりしたら申し訳ないなという気遣いの現れではありますが、「いざいっしょに行くことになって逆にすごい嫌われたらどうしよう。なんだったら断ってくれた方が自分も楽かもしれない」という自信のなさの現れでもあります。かくいう私もまったくそういう人間なので、書いていて自分のことがイヤになります。
自分に自信が無く、楽しませられなかったらどうしようという不安が強いとそれは誘い方にも反映され、「ダメならダメでいいし、おれみたいな人間と無理にとは言わないんだけど」とノーに誘導するような言い回しが強くなってしまいます。挙動も落ち着きが無くなり、全身で断られてしまう可能性を体現してしまいます。そのくせ断られたら断られたで人並みにショックを受け「せっかく勇気を持って誘ったのにやっぱりダメだった。おれはなんてダメでモテない男なんだろう」とさらに自信を失っていきます。
さらに相手もその誘い方に対してイエスと答えるためには、誘った側の「誘ってはいるけど、ひょっとしたらノーのほうがいいかもよ」というよくわからないプレッシャーを乗り越えなければならず、本当は断りたくないのに結局断ってイヤな気持ちになり、最終的に「あの人はめんどくさい」となって疎遠になってしまい、ますます誘った側の自信は失われていきます。自意識過剰の悲しいスパイラルですね。いろいろ思い出されて本当に辛いです。

ではどうすればこのミゼラブルな状況を打破できるのでしょうか?
根本的には自分に自信を持って堂々とした人間になれたらいいのですが、そう簡単に人間が変われるものなら苦労はしません。そこはじっくり時間をかけて磨いていくしかないのです。しかし、誘い方のほうであれば変えるのは簡単です。人を誘おうという勇気が出せたのであればイエスに持っていくかノーに持っていくかはテクニックの問題なので、できるだけノーに誘導する誘い方は避けたほうが得策です。
もしもイエスの返事をもらえればそれは大きな自信につながり、さらに自分を望ましい方向に持っていけます。自己の評価は行動に反映されますが、先に行動を変えることで自己評価を変えることもでき、いわゆる認知行動療法的な考え方です。

また答える側の立場で考えても、ノーと言って断る方が心に負荷がかかってしまいます。断ることでお互いにしんどい思いをするよりは、気楽に楽しい時間を過ごすことのほうが何倍も良いのです。そういう意味では3番目の”断る選択肢を与えない”という方法にも、断るという選択を悩まなくて済むという相手方のメリットはあります。
医療の世界でも患者さんの選択を尊重して、十分な説明と最終的なイエス/ノーの同意を得ることを良しとする風潮が浸透していますが、昔ながらの「先生の言う通りにしますので」という意思表示にも、自分が考える手間が省けて何かあったら医療側の責任にできるというメリットが多分にあります。みんながみんな難しい説明と自己責任での選択こそベストと思っているわけではないのです。

選択肢を提示することは相手の意思を確認すると同時に、自分の希望も強く反映されます。相手に投げる前に「自分はどっちに持っていきたいのか」を考えることも大切であり、そうすることでより適切な誘い方を推敲することが可能にしてくれます。
ときに選択肢を与えずに強引に持っていくことが功を奏することがありますが、相手のノーを封じることには当然それ相応のリスクも伴います。嫌われたり関係を壊しかねないような本気のノーが感じられたら、それを汲み取る敏感さと優しさも同時に求められるのです。
なのでいい加減あきらめてくれませんかね、ウインドウズさん。

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