明日も精神科医

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モテたい 3

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- 感情と欲求の情報

「もっとあなたも心を開いて!」
人との関わりを拒否する不良少年に対して不器用だけど元気で明るいヒロインが言い放つ。一昔前の少女漫画や、朝やお昼のテレビドラマなどで聞かれそうな台詞ですが、これだけ抜き取るとすごく乱暴な印象を受けます。
この場合でいう、開くべき”心”とはなんなのでしょうか?なんで他人に言われて心を開かないといけないのでしょうか?

心とは可視化できない漠然とした概念であり、その解釈は多岐にわたっていますが、「心を開く」「心を閉ざす」といったコミュニケーションで使う場合の解釈は、”感情と欲求の情報”です。
私はこうしたい、こうしたくない、あなたにこうしてもらいたい、今こんな風に思っている等の情報を言語や表情、態度などで明確に示すことで相手に伝えることがおそらく「心を開く」という最も単純な行為であり、互いのニーズを摺り合わせることで良好なコミュニケーションを築くことができます。

こうした感情と欲求の情報、特に相手にとってプラスの情報を上手に提示できる人は大変有利です。「あなたに好意を持っていますよ」「あなたと仲良くなりたいですよ」「私はあなたの敵ではありませんよ」という気持ちを相手にとって負担なく伝えることができれば、少なくとも警戒心は多少やわらぎ、距離感を縮めるきっかけを掴むことができます。
人間の心理として人に何かをしてもらった場合、できるだけ同等のお返しをしてあげたいという力が働くため、心を開かれた側の人も、相手が提供してきた情報に対して何かしらの情報提供をしなければという心理規制に影響されます。

もちろん自分の好意に対して必ずしも相手が好意を返してくれるわけではなく、”嫌悪”や”拒否”といった感情が返ってくる可能性もあります。そうした意味ではハイリスクハイリターンなわけですが、相手からの情報開示を待っているだけの人間よりは当然リターンが多く、経験を豊富に積むことによってより上質なコミュニケーションを手に入れることができ、すなわち”モテる”状態になることができます。

ちなみに冒頭のシチュエーション「もっと心を開いて!」は、一方的な好意の情報提供に対して拒否という形でリアクションをしているのに、自分の望む好意的な反応がないことに不満を抱いて憤っている状態です。ムチャクチャですが、案外とこうした強引なアプローチも功を奏したりするため、人間の心は予測が単純ではありません。


- 心の露出度

それではこの感情と欲求の情報、コミュニケーションにおける”心”というものは、開けば開くほどいいものなのでしょうか?

情報をオープンにする度合いが高いほど人からの注目が高まり好意を抱かれる可能性は上がりますが、一方で嫌悪感や不快感を抱かれることも多くなります。これはちょうど身体と服の関係とよく似ていて、自分の姿形に自信のある人ほど露出することに抵抗感がなく、美しく魅力的に見せる術を心得ています。出しすぎると下品になり、隠しすぎると怪しまれてしまうことも同様です。
大切なことは見せるべきところは見せて隠すべきところは隠し、最も適切な状況、適切なタイミングで最も自分を魅力的に見せることです。しかし目に見えるファッションですら難しいのに、心の見せ方を自在にコントロールするなどは至難の業であり、生まれ持った自分のルックスと同様、容易に変化させられない中で誰もがもがきながら試行錯誤をしているのです。


- 上がる露出度

ただ、こうした服装と露出の関係は、そのときどきの時代や文化に大きく影響されます。イスラム圏の一部では女性は真っ黒な服で顔まで覆わなければならない一方で、フランス貴族の絵画などには大きく胸元の開いたドレスが描かれています。現代の日本でも肩や足を露出するファッションは明らかに増えており、「みんなやってるから」という理由でどんどん抵抗感は下がっている印象を受けます。男のズボンですらどんどん短くなり、私が小学生の頃にはいてたような丈の半ズボンを過剰におしゃれな人が堂々とはきこなしている始末です。

こうした身体の露出度の変化が心の露出度に直接影響しているかどうかについては明確なことは言えませんが、別の現象として、情報ツールの発達は確実に私たちの心のあり方に変化を与えています。

ここ数年で急速に普及したブログやプロフ、Twitter、Facebook、LINEなどのシステムにより、大量の個人情報がネットワーク上に溢れるようになりました。大半は今自分が何をして何が好きで何を感じているかといった情報であり、誰に聞かれているわけでもないのに欲望のままに発信され続け、他人の感情や欲求の情報を受信することも日常になっています。
かつてはネット上に自分の名前や顔を晒すことは非常に危険なこととされていましたが、今では誰もが抵抗なく公開するようになっており、むしろ隠している方がなにかうしろめたいものを抱えている人間だと思われてしまいます。
ネット上での印象と現実で会った時の印象も以前ほどの解離はなくなっており、コンピューター上のネットワークと現実の境界は日毎に曖昧になっているようです。

これまで対面での直接的なやりとりや、手紙や電話などのツールでしか交換できなかった感情と欲求の情報が、デバイスとネットワークを媒介にすることで、間接的にかつ高速で共有できるようになってきました。
面と向かって自分をうまく出せなかった人もいったんネットを挟むことによって自分の心の情報を伝え、相手の心の情報を知ることにより、円滑なコミュニケーションを可能にしてくれます。
とりわけ幼い頃からこうしたツールに馴染んでいる世代は、既に私たち前の世代とは質も量も異なったコミュニケーションを抵抗感なく自然な形で、しかも非常に大きな規模で自ら構築しているのです。

ツールの発達により心の露出度は上がり、心のネットワークは密度の高いものとなっています。情報の共有量が多くなるほど距離感も近くなり、現実的なコミュニケーション量も増えてきます。
しかし何もかもが完全にオープンになるわけではなく、密に絡まれば絡まるほど、間にモノが挟まっていればいるほど、こじれたときにより一層ややこしくなるのもまた、心というものです。

つづく

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