明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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悪名

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2014年7月、厚生労働省および警察庁により、法律の規制を逃れた不特定多数の薬物に対し" 危険ドラッグ"という新たな名称が制定されたというニュースを聞いたときの衝撃は忘れられません。

それでいいのか、あまりにもダサすぎる。一般公募で2万通も応募があったのに"危険ドラッグ"て。「応募の中に"危険"と"ドラッグ"の単語が多かったので、"危険ドラッグ"にしました」という選考方法も絶対におかしい、それはバカな人のする選考のしかた、などの様々なつっこみどころを翌日の朝の医局で議論し、改めて"危険ドラッグ"と口に出すのもはばかられるほど恥ずかしい響きであることを痛感したものです。


合法ハーブから脱法ハーブ、脱法ハーブから危険ドラッグへの変遷は興味深く、少し名称が変化しただけで社会に与えるイメージが大きく異なることが伺えます。
「あの先輩、合法ハーブやってるらしいぜ」と「あの先輩、危険ドラッグやってるらしいぜ」の印象は全然違い、なんとなくクールでギリギリのワルさを楽しむようなかっこよさがある前者に対し、後者の自堕落で破滅的なダメさ、そんな情けないものに手を出すような人間には絶対なりたくないと思わせる威力はたいしたものです。

かつての"ダメ、ゼッタイ。くん"のインパクトも凄まじかったですが、(参照: http://www.dapc.or.jp/index.htm )もしこうしたおしゃれじゃないイメージを作り出すことが作為的なものであるとしたら、日本の社会を牛耳している大人たちは私たちが思っている以上にイメージ戦略に長けた策士なのかもしれません。
まあ"アベノミクス"も同列のセンスなので、たぶん違うと思いますが。


こうしたイメージによる社会への影響は、少なからず精神疾患にもあてはまるような気がしています。
精神科医の先輩と話していると、「以前に比べて重症のボーダー(境界性パーソナリティ障害)の人が減った」という話をときどき耳にします。昔はもっと感情の起伏が激しく、入院しても少し気に入らないだけで大騒ぎして自傷行為を繰り返すような人がたくさんいて大変だったという話を聞きますが、たしかに私が医師になってからそういう人は数えるほどしかあったことがありません。いたとしても30代、40代くらいの比較的年齢が高く、統合失調症や知的障害を疑わせるような人が多く、かつてうたわれたような10代、20代で比較的インテリジェンスが高く、ハデで破滅的な異性関係を繰り返しているというような人は非常に少ない印象です。

社会的な雰囲気の変化や、疾患の周知による社会の受け入れ、そうした性格傾向の人が増えたことでコミュニティが形成され、寂しさが解消されていること等が言われていますが、昔ほどボーダーラインという名前がテレビや映画、漫画等でとりあげられなくなり、リストカットも決して耽美的でかっこいいイメージではなくなってしまったことも少なからず影響している気がします。
「17歳のカルテ」や岡崎京子の描いた世界はもはや時代の1ページとなり、「クワイエットルームにようこそ」(怖い映画)が内田有紀と大竹しのぶだったというのも、ある意味リアルなキャスティングだったと思います。
似たような現象は解離性同一性障害(いわゆる多重人格)でより一層顕著であり、新型うつ病もなんとなく減少傾向にある印象を受けます。


決してこうした人格的な疾患を持つ人全員が、トレンドに影響されたなんちゃっての病気だと主張しているわけではありません。
ただ元々ある時期にそうした人たちが増えるなんらかの流行があり、それを診断、治療するためにカテゴライズすることで新しい病名が生まれ、トピックとして情報が流布されることで「じゃあ私もそうなんじゃないか」と思い込んでしまうことでその病気になってしまう人たちは確実におり、そのパーセンテージはけっこう高いのではないかと思います。

新たな疾患の啓発、治療の可能性の提示、社会の理解を促すために情報を発信することはとても大事ですが、イメージが流行しすぎることで、本来なる予定ではなかった人が病気になってしまうのでは本末転倒です。
"ボーダーライン"のような呼称ではなく、冒頭に書いたようにもっとダサい名前、悪い名前にすることでその影響を防止するという手段もありますが、"エボラ出血熱"のようにあまりにも恐ろしい名前にしてしまうと、本来その疾患で苦しんでいる人がひどい差別を受けるおそれもあり、決して安易に提案できるものではありません。


名前とはそのものを識別するためのラベルであり記号ですが、それが社会に与えるイメージを決定するものでもあります。
子供の名前や商品の名前など、ポジティブな思いをこめてつけられる名前もあれば、病気や犯罪などのネガティブなものにも名前が必要であり、どちらも命名には慎重な配慮が必要です。

人はイメージから思い込み、思い込みは私たちの感情や行動に影響し、表出された感情や行動は他者に影響を与え、新たな思い込みを形成します。思い込みの鎖は複雑に絡まりあい、途方もなく長い鎖の端は、巨大なループを形成し、私たちを取り巻いています。
がんじがらめに縛り付けられた思い込みの鎖をほどき、奪われた心の動きを開放してあげることができれば、それは価値のある精神医療です。

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