明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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あとがき【MMORPGの思い出】

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本編がムダに長くなりすぎたので、本当に書きたかった考察は別で書かせていただきます。

http://ashitamoseishinkai.blog.fc2.com/blog-entry-81.html

今回の話はオンラインゲームそのものを批判したいわけではなく、また「オンラインゲームでこんな辛い目にあった」と強調したいわけでもありません。
ただオンラインゲーム上でのコミュニケーションは想像していた以上に難しく、実社会以上に「社会であること」を意識させる社会であると、痛感しました。

「研修医の頃を思い出した」と書きましたが、まさに立場としてはそんな感じで、自分と周囲の能力とのギャップと、それでもうまく立ち回らなければならない使命感は、これまで自分がしてきたゲームとは全く違った緊張と疲労をもたらしました。
もちろん最近のゲームは親切なので、ゲーム内のチュートリアルに従うだけで、ゲームそのものを進めることはできます。しかし他のプレイヤーはネットの情報や他プレイヤーとの情報交換、そして他のオンラインゲームで培った実務経験を基にゲームを有利に進める術を心得ているため、その進め方の差は歴然です。
例えるなら「初心者も歓迎のフットサル大会」に本当に初心者として参加したらみんな意外なほど練習していてヒドい目にあったようなもので、これは会社の社外研修や旅先での苦労など、なにかしら未知のコミュニティに突入する際に決まって生じるストレスです。
現在のオンラインゲームでは、こうした諸先輩型と仲良くなるためにはこの種のストレスを自力で乗り切らなければならず、そこにはオタクであることを許さない、現実世界となんら変わりないエネルギーと根性と情熱が必要であると感じました。


また、今回の私の失敗として、「本来の自分のままでゲーム世界に参加しようとした」ということも挙げられます。ゲームの中では現実の自分の顔も声も姿も性別も肩書きも関係なく、ゲームの主人公として振る舞うことができます。そもそものRPG(ロールプレイングゲーム)の魅力とは、架空の物語の世界で主人公としての役割を演じられることであり、オンラインのRPGではよりいっそう異なる自我をゲームキャラに投影させることができ、さらにその状態で他のゲームキャラと意思疎通をはかることもできます。
そのため現実世界では元々の姿形や肩書きに縛られていた自分とはまったく違った自分自身を開放させることができ、良くも悪くも自分の新たな可能性を探ることができます。逆に今回の私のように中途半端に現実の自己を引きずることで、無用な気疲れを生じることも起きてきます。

こうしたアバター的な世界で自己のアイデンティティを確立させようとする行為には、どうしても危うさや不気味さを感じてしまいますが、現実の社会であれ、誰もがコミュニティごとに違った顔を持って生活しています。
会社では冴えないけど夜のクラブでは一流のダンサーとして活躍している人、日本では暗いけど海外にいくとイキイキする人など、生活のメインの場以外で自分の本領を発揮できる人はとても多く、そしてその居場所を作り上げるために、相当な労力と時間と経費をかけています。
ピアノが上手い人、足が速い人、絵が上手い人は大勢いますが、それだけで生計を立てられる人はほんの一握りです。極端な話、プロでなければ全て趣味の世界であり、社会的経済的な価値については否定されるはずです。しかし芸術やスポーツの場合、なんとなく"人生を豊かにするもの"的な扱いで、そこに費やされた労力は肯定されています。
一方でネットゲームに何千時間も費やして、世界中のユーザーから賞賛を浴びていたとしても、そこ以外の社会からの受け入れは悪く、「現実逃避の甚だしい人」扱いされてしまいます。それはまさに先入観の問題であり、新しい価値観の弱点でもあります。


"ネトゲ廃人"や"ネット依存症"といった言葉が流布して久しく、様々な社会問題がピックアップされ、精神疾患として研究する機関までできています。しかしあることに熱中しすぎて他の生産的な社会生活ができなくなった人を廃人や依存症と言うのであれば、スポーツや芸術、将棋や囲碁、学問の世界などは依存症の廃人だらけのはずです。ところが実際には極めるほどに"至高の存在"として扱われ、その言葉が社会的な影響すら与えるようになるのはとても面白いところです。
"ゲーム"というと、本来暇つぶしや一人遊びの娯楽のイメージが強いですが、ゲームそのものの進化は凄まじく、私が子供の頃に慣れ親しんだゲームと、今のヘビーユーザーのプレイするゲームは全く違ったものになっています。
実際に本当にすごい人のプレイは一流のピアニストやサッカーのスーパープレイのような感動を与え、いまや実際にネットや現実のイベントで人々を熱狂させ、ゲームの売り上げではなく、ひとりのプレイヤーの技術が経済も動かすエネルギーとなっています。

急激な成長は常に多くの問題をはらんでおり、部外者にとっては眉をひそめる話題ばかりが聞こえてきます。しかし、いわゆるオタクの行き着く先を廃人にするか、聖人にするかは、この先の社会の受け入れ次第です。

社会が人を育て、人を潰すものであるならば、育ててくれる方に進歩することを期待します。

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