明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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パターンとイメージ

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人間の眼球には盲点と呼ばれる光情報を認識できない(見えない)部分があります。ある本で読んだのですが、その部分の視野が欠けないための一つの方法として、盲点の周囲のパターンを認識し、見えていない部分のイメージを埋める作業を脳が行っているそうです。なので白い紙に描かれた小さな黒い点を片目で見つめた場合、ある角度で黒い点が見えなくなり、真っ白な紙に見えるという現象が起きます。
ふだん私たちが見ているのはあるがままの世界ではなく、その一部、もしくは全部が、あるがままの世界をパターン化して脳が作り上げたイメージの世界です。


情報処理機関としての脳には、できるだけ楽をして自分への負荷を減らそうとするシステムが備わっています。それはあらゆる情報をパターンとして簡略化し、そのパターンを記憶に変換して行動や知識に反映させるシステムです。
例えば、目の前にパンがあったとします。まずは視覚によってこれは自分の知っているパンという物体と類似のものであることを認識します。そして触覚、嗅覚でさらに過去のパンにまつわる記憶と照らし合わせ、これが口から自分の体内に取り込んでも安全なものであることを確認し、一口目をかじります。噛んだ時の歯ごたえ、音、匂い、そして味などを総合し、これはもともと自分の知っているパンであることをさらに確かめ、二口目に進みます。このときこれらの刺激のどれかが強い快反応、不快反応を引き起こすものであれば、"おいしいもの"もしくは"まずいもの"として、さらに記憶にとどめられます。
これらは全て脳によるパターン化とそのアウトプットの集積であり、他にも車の安全な運転やスポーツの一連の動き、音楽のコード進行など、あらゆる行動や認知で意識的、無意識的に情報はパターン化され、私たちの行動を可能にしています。

そして人間が人間に与える"印象"もまた、一つのパターン認識です。
例えば、初めて見る人がテレビに出演していたとします。そのときに「若くて、そこそこ可愛らしくて、元気で、歌を歌って、ちょっと変わった喋り方と奇抜なファッションで、なんか人間離れした芸名の女の子」を受けたとしたら、次にその人が同じような印象でテレビに映った場合、「あ、また出てる」という印象を受け、「最近よくテレビに出ている女の子」という印象が追加されます。こうした印象のパターンが特異的でわかりやすいもの(印象の良い・悪いに限らず)であればあるほど、繰り返し提示されることで人々の記憶に留まりやすくなり、親しみやすいキャラクターに変化していきます。
よく有名人などで「顔は思い出せるんだけど、名前が思い出せない」ということがよくありますが、それは単なる言葉としての名称よりも、全体的な印象の方が認識としての優先度が高いことを物語っています。名前は個体識別のための便利で重要なタグですが、印象を形成するパターンとしては数あるうちの一つにすぎません。

こうした個人のパターン化というのは有名人に限ったことではなく、いわゆるモテる人、人気のある人というのは、自分の特長を上手にわかりやすい形でパターンに変換し、提示できる人という気がします。
それは"美人"、"かっこいい"、"お金持ち"、"頭がいい"、"おもしろい"等のようなステレオタイプにプラスの印象を与えるものだけでなく、"若いのにとんでもない苦労をしている"、"暗算が異常に速い"、"おいしそうにご飯を食べる"、"エロい"など、なにかしらインパクトのあるものであれば、実のところ内容は問われません。
ようは「この人ってどういう人?」と聞かれた場合「◯◯な人」と即座に答えてもらえるような、わかりやすく一貫性のあるキャラクターを作り出すことが重要なのです。
逆にどんなに潜在的な魅力がある人でも、自身の特長を上手く出せなかった場合「よくわからない人」という印象となってしまい、コミュニケーションが円滑に進まないことも往々にしてあります。


ただ面白いのは、こうしたパターン化された印象というものは、相手に安心感を与えると同時に、長く同じパターンに晒されると"飽きる"という現象を引き起こします。
ある一つの強烈な印象にだけ固執し続けると、徐々に周囲の興味は失われ、かといってなにもかもを刷新して全く異なった印象を提示してしまうと、受け入れられるかどうかはゼロからのスタートになってしまいます。
定着したキャラクターはある程度そのままに、さらに愛されるための新しいパターンを追求せねばならず、人気者でい続けている人の苦労はいかばかりかと思います。
最近の大量の情報を凄まじいスピードで一気に消費する社会では、印象が定着する前に人々から飽きられてしまうため、かつてのようなスーパースターを産みだすことはもはや至難の業なのかもしれません。


こうして言葉で考えると難しい作業のように感じますが、人を知るための全てのコミュニケーションは、パターン認識と新しく得られたパターンのアップデート作業であり、私たちは無意識にその作業を行っています。
他人から受け入れられることを優先するのであれば、自分というパターンをできるだけシンプルにし、わかりやすい形で繰り返し提示することが大切です。
「それでは本当の私をわかってもらえない」という意見もあるかもしれません。しかし"本当の私"もまた、その時点で形作られたパターンの集合によるイメージの、人間の脳による認識に過ぎません。誰の脳も、基本的に楽をしたがっています。

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