明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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無言の意味

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いつまでたってもメールの返信が返ってこない…!

そんなとき人は(というか私は)、様々な憶測をしていまいます。
ただ単に忙しくてメールを打つヒマが無いのか、返信の内容に悩んでいるのか、こちらが送った内容が気に入らないのか、そもそも自分とのコミュニケーションを面倒に感じているのか、もしかしたら事故にでもあったんじゃないか、このまま待ち続けたらこの人の返事は永遠に来ないのではないか、でも「なんで返事くれないんですか?」とかメールしたら絶対ウゼェと思われるだろうし、自分でも同じメールもらったらそう思うし、返事はくれないのにツイッターではつぶやいてるし!忙しくないじゃないか!ああ!こんなことばかり考えてしまうなんて自分はなんてしょうもない人間なのか…!他にもやることいっぱいあるのに!
と、ヤキモキを通り越して勝手に憤りや自己嫌悪に陥り、挙げ句の果てに自滅していったことがこれまでに何度もありました。思い出すだけで死にたくなりますし、たぶんきっかけさえあればまた同じ状態にはまり込む自信もあります。人間はそう簡単に大人になりません。


言葉とは何らかの意味を相手に伝えるものであり、無言にもまた、意味があります。
ある質問をしたときに返ってくる期待通りの返答のみが情報ではなく、期待とは異なる返答、そして"答えない"という行為もまた重要な情報です。

精神科の用語に"緘黙(かんもく)"という言葉があります。脳の障害によってしゃべる機能が失われた"失語"とは異なり、しゃべることはできるけどしゃべれない、黙ってしまっている状態を一般的には指します。ある状況においてのみしゃべらない場合には、"選択緘黙"、"場面緘黙"とも呼ばれます。
相手がしゃべらない場合、「どうしてしゃべらないのか?」がフォーカスとなってきます。何らかの問題があってしゃべらないのであれば、その問題を解決することができればしゃべることができるようになり、またその他の精神的問題にもアプローチできる可能性が出てくるのです。
しかし相手はしゃべれないわけですから「どうしてしゃべれないんですか?」と聞いても返答が返ってくるわけがありません。ヒステリーなどで程度が軽い状況であれば、筆談やジェスチャー等でコミュニケーションがとれることも多いですが、ガッチリと閉ざされてしまっている場合、その表情や仕草を観察し、また本人の話以外の周辺の情報をかき集めることで、問題を推測をしていくしかありません。

こうした作業を進めていくとすぐに露呈するのが、「私自身がこの人をどう思っているか」ということです。
私はこの人を病気と思っているか病気ではないと思っているか、どのような性格のいい人と思っているか悪い人と思っているか、どちらかというと好きか嫌いかなど、医師自身が患者さんから受けた印象が起点となり、その後の推測の方向性が大きく変わってしまいます。
できるだけフラットで客観的な立場から患者さんの情報を読み取り、その内に潜む心理的背景にできるだけ正確な"あたり"をつけていかなければならないのですが、そこに医者の感情や人間性という余計な要素が入り込むことで、的外れな推測になってしまうことはままあります。
逆にそうした感覚が入り込むからこそ、文面だけの情報からは得られない深い部分にまで手を伸ばすことができ、互いに予測できなかった新しい解決方法にたどり着ける可能性もあります。非常に不安定な要素ですが、排除することは難しく、また重要な手段のひとつと考えられます。
医者は患者さんに写った自分の内面を見ることができ、患者さんもまた医者に写った自分の姿を見ることで、なにかしらの相互作用が生じ、失われた言葉以上の新たな情報が発見されることもあるのです。


こうした無言の相手と向き合うことで、コミュニケーションにおける言語以外の要素の重要性を知ることができます。
現代の生活においてテキストや画像のみでのコミュニケーションが切っても切れないものになりつつありますが、そこにはテキストと画像以上の情報はありません。突然その情報が途絶えてしまったとき、そこには何も残らないのです。
しゃべらなくなった人間からは様々な思いを知ることができますが、しゃべらなくなったスマートフォンの画面からは何も読み取ることができません。そこには楽しくコミュニケーションをしていた過去の履歴と、それが一気に断ち切られた絶望的な現在がまざまざと映し出されているだけです。
そうした経験は意識的、無意識的に恐怖心として植え付けられ、ズッと友達でいるために、ズッと友達じゃなくなったなんて言わせないために、そのやり取りはいっそう強迫性を帯びてきます。


気楽で気軽なコミュニケーションツールのはずなのに、いつからこんな疲れるものになったのでしょうか。会って話す方がよっぽど楽に思えてきます。

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