明日も精神科医

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「なぜ」の威力

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京都の人を訪ねた際に「またいつでも来てくださいね」と言われて、本当に"いつでも"行ってしまうと「え?なんで来はったんですか?」と怪訝きわまりない表情で言われるという話を聞いたことがあります。恐ろしいですね。
この京都の社交辞令を解さない人間に対する非難、冷たさ、高慢さに鋭いニュアンスを伝えているのが「なんで...?」という疑問の形です。


疑問詞とは、質問者が相手から何らかの情報を得るために使う表現です。そこにはいくつかの種類があり、それぞれに得られる情報の質、量に違いがあります。
例えばyes/noで答えられる質問は最もシンプルな形式であり、その次がwhichで表される二者択一のものです。さらにいわゆる5W1Hと呼ばれるものが続き、what, who, when, whereのような単語レベルで返答できるものと、how,whyのようなある程度文章として完成させないと伝わらないものに分けられます。中でも理由全体を問うwhyは聞き手が得られる情報量が圧倒的に多く、逆に質問をされた側は適切な返答をするために最も悩まされることとなります。


またこのwhy(なぜ?)の形には大きく二種類の効果があります。一つは単純な疑問の形、もう一つは叱責、批判のための形です。
子供はある年齢になると、四六時中「なんで?」「どうして?」を連発するようになります。小さい子がお母さんに「なんでおはしつかってたべないといけないの?」と問うのは純粋に社会のルールを知るための質問です。逆にお母さんが小さい子に「なんでおはし使って食べないの!!」と怒鳴るとき、これが叱責の形です。仮に子供が「いや、インドではむしろ手づかみで食べることの方が一般的で、こうして箸という媒介を使わずに手で直接食べ物を口に運ぶことにより、味覚、嗅覚だけではない触覚も加わった全く新しい食の楽しみ方ができるんだよ」と回答したところで「生意気言うんじゃないの!!」とさらに怒られるだけです。
求められているのは質問に対する答えではなく、質問者の意に反する態度をとったことに対する反省であり、この意味では質問としての効果は失われています。

ただ疑問にしても叱責にしても共通して言えることは、「なぜ」と問われた側は答えるために否が応でも頭を使わせられることとなり、強いストレスが負荷されるということです。
取り調べや拷問では情報を得るための「なぜ」と、相手を批判するための「なぜ」が両方の意味で使われており、また「なぜ」を連発することにより精神に多大な負荷をかけられるということでも理にかなっています。恐ろしいですね。


このように「なぜ」を使う際には問われた相手のストレスに配慮し、できるだけ乱用しないよう注意しなければいけません。
にもかかわらず医療の現場、とりわけストレスに最も配慮されなければならない精神科医療の現場では、毎日医者から患者さんに大量の「なぜ」が連発されています。なぜでしょう?
"問診"の名の通り、古くから問うことは診察をする上で重要な位置づけをされており、人間の精神というわけのわからない漠然とした対象にアプローチするためには、質問という形で相手の心に切り込み、返答という形で評価をすることが治療をするための数少ない足がかりとなっています。
今日この病院を受診した理由、わけのわからない行動をとる原因、うつ状態の裏に隠された心因的背景、薬を飲みたくない理由、家族と一緒に暮らせない理由など、聞きたいことは無限にあり、精神科医はそれを尋ね、なんらかの解釈を見いだすことが精神科診察の意義とすら思っている節があります。
また最近では診察の際にクローズドクエスチョン(前述のyes/no, whichで答えられるような、回答の範囲が狭い質問)よりもオープンクエスチョン(回答できる範囲が広い質問)のほうが、患者さんの具体的な意思を聞き取ることができ、満足度も上がるとされ、もっともっとオープンなクエスチョンを使えという風潮すらあります。
そうなると必然的に「なぜ」の質問は増え、患者さんは疲弊した精神の状態でさらに医者に頭を使えと強要されるわけです。


ある有名な本に「若くて未熟で熱心な精神科医ほど『なぜ』を乱発する傾向があり、患者が精神的ストレスを負っていることに気づかずに自らの治療意欲のままに『なぜ?なぜ?』と問い続けている」といった指摘があり「いっそのこと『なぜ』を封印し、『なぜ』以外の質問を駆使することで患者任せにしない豊かな診療を目指すべきである」と勧められていました。
非常に含蓄のある進言であり、若く未熟な立場としては身につまされるものがあります。とはいえやはり「なぜ」を使わずに診察を進めることは至難の業であり、比較的閉じた質問だけで患者さんを導くことが、本当にその人の意向に沿った治療をもたらせるのか自信がないというのも、まさに未熟者らしい実感です。

そこでせめて苦肉の策として、「なぜですか?」と「なぜなんでしょうね?」を区別することを意識しています。
ほとんど変わらないように見える二つですが、「なぜですか?」は相手に質問を丸投げするのに対し、「う〜ん、なぜなんでしょうねぇ...?」と提示することで、質問した自分自身も一緒に悩むことができるニュアンスを含ませています。
そうすることで患者さんも質問に対する責任を分担することができ、「わかりません」とも言いやすくなり、こちらも「それはつまりこういうことですか?」と、次の閉じた質問にスムーズにつなげることができるのです。

病院に来るということは何かしらの問題を抱えているということであり、来た人は何らかの解決策を医者に見つけてほしい、もしくは見つけるための手がかりを医者に見つけてもらいたいと思っています。問診はそのための手段であり、こちらが情報を得ると同時に、解決のための気づきを促す意味もあります。「なぜ」と聞くことでストレスを負荷されるのであれば、むしろそのストレスを共有することで二人三脚のような信頼関係を築けるようこっそり仕向けられたらいいなというのが、私の算段です。


先の京都の例でもそうですが「なぜ」は日常のどんなところでも使われ、ほぼ無意識的に、さらっと相手にプレッシャーを与えることが可能です。疑問のニュアンス、叱責のニュアンスについては、言う方も言われる方もはっきり区別していないことの方が多く、どちらにしても気づかないうちにじわじわとストレスとして蓄積されていきます。
子供の「なんで?なんで?」はまったく悪気が無い上に成長のために重要なプロセスであるため、怒らない方が良いですが「そんなに『なんで?なんで?』だとこっちも疲れてしまう」ということも伝え、質問に工夫が必要であることも知ってもらう必要があります。
そしたらきっと「なんで『なんで?』っていっちゃいけないの?」と返されると思います。腹立ちますね。


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