明日も精神科医

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酒はなぜやめられないのか

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仕事が好き、スポーツが好き、音楽が好き、ゲームが好き、インターネットが好き、大事な人のために頑張ることが好き、たいていの人が自分の好きなことや生きがいを持っており、それを糧に日々生きています。

そんな人生の支えにしていたものがある日を境に強制的に奪われ、その後死ぬまで自分の意志でやめ続けなければいけないとしたら…。その辛さ、苦しさ、虚しさが克明に描かれた作品が「失踪日記2 アル中病棟」です。

2005年に発表された「失踪日記」で綴られた生々しいホームレス体験の後、アルコール依存症から抜け出すために入院した精神科病院での生活が本作では描かれています。作者自身も登場人物でありながら、まるで舞台上から舞台を観察するようにそれぞれのキャラクター(入院患者、医療スタッフ、AA・断酒会の参加者など)が客観的な視点で動き回っており、その冷静な観察眼とマンガ家としてのエンターテイメント精神に感心させられます。
病院ものにありがちなお涙ちょうだいエピソードも本当に一切なく、全体にシニカルで淡々としていながら、アルコール依存であることの不安や世知辛さもじわりと伝わる秀作です。


この作品には多くのアルコール依存症の患者さんが出てきます。それぞれにデフォルメされた特徴が描き分けられており、読んでいると次第に"お酒をやめられそうな人"と"きっとやめられなさそうな人"という区別がなんとなくできてきます。
クリアカットに分類できるわけではないのですが、やめられなさそうな人の特徴として、

① そもそもお酒をやめる気が一切ない
② 認知機能や理解力が著しく低く、お酒をやめるという意志が持続できない
③ 元々の生活におけるお酒のウェイトが重く、"お酒を飲むこと"や"お酒をやめること"に捉われ過ぎている

を挙げることができます。

①の人は本当にどうしようもなく、「俺は自由だ!退院したら飲む!」と直立して堂々と開き直るシーンが何度も描かれており、いかにこういう人がどこにでもいるということを物語っています。

②の人も実際の入院患者さんでとても多く見られます。アルコールそのものでじわじわと認知機能が落ちてくる人もいますが、お酒ばかり飲んで食事をしなくなることから栄養状態が極端に偏り、ビタミンB1の欠乏から重篤な認知機能障害に陥る人もいます(実際ウェルニッケ・コルサコフ症候群の人は本作にも出てきます)。こうした人たちは教育や認知療法による改善が期待できず、結局はお酒を飲めない環境下での生活を余儀なくされてしまいます。

③の人がいわゆるアルコール病棟の入院に最も適している人たちです。
神経生物学的にはアルコールにより前頭葉の報酬系とよばれる機能が障害されており、脳そのものが変性した結果、"自分の意志でがまんする"という行為が非常に難しくなっています(本作で例えられている「ぬか漬けのきゅうりが元のきゅうりに戻れないのと一緒です」という表現はここから来ていると考えられます)。そのため理屈の上では分かってはいても、飲まないと不安になる、飲むことで不安から抜け出したいという耐えがたい欲求に苛まれ、結局飲んでしまう、飲むことでさらに不安が高まるというサイクルに陥ってしまいます。
いわゆる"精神依存"の状態であり、アルコールだけでなくシンナー、ヘロイン、抗不安薬、睡眠薬などのダウナー系ドラッグの長期使用者に認められる症状です。
この状態を根本的に解決する手段はなく、壊れた脳が発信し続ける強力な信号に対して、既に弱り果てた理性で抗い続けるしか無いわけです。一人で達成することはまず不可能でしょう。


依存症におけるこうした深刻な事態を踏まえなかったとしても、実は"やめ続ける"行為そのものが決して簡単なものではありません。
例えば「自分のやりたくないことをやり続ける」ことと「自分がどうしてもやりたいことをやめ続ける」こと、いったいどちらが難しいでしょうか?もちろん程度の差はありますが、短期の視点で見ると前者の方がきつそうですが、年単位の長期の視点で見ると、後者も相当にしんどいことがわかってきます。

前者の場合、仕事や勉強などであれば、いくらやり続けないといけないとしても多少の休息は許されますし、何かしらのゴールが設定され、努力によって果たされたときには大きな喜びが得られることも少なくありません。
しかし後者の場合、一度でもやめることをやめてしまう、つまり自分のやりたいことをやってしまったその時点でアウトです。これまでやめ続けていた努力はすべて無駄になったと非難され、さらにまたやめ続けるための努力をしなければなりません。周囲の失望は支え続ける気力を削ぎ落とし、また真面目な人であるほど本人も失敗を深く悩みます。しかもいつまでその努力を続けなければならないかと言うと、"死ぬまで"であり、死んだときに誰かが「よく頑張ったね」と評価してくれたとしても、その達成感はいかばかりかと思います。
さらにお酒の場合、自由に動き回れる身体と100円玉があれば日本中いつでもどこでも手に入れることができ、少し繁華街に出ればあらゆる飲食店が強烈に誘惑してきます。がまんしなくていい人にとってはなんでもない光景が、がまんし続けなければいけない人にとっては「飲める、でも飲むと死ぬ」という、脱水状態で海上を漂うような地獄に映るわけです。
これを24時間365日、死ぬまで続けなければいけない状況を簡単という人はいないでしょう。


この本の帯にも「酒無しでこのつらい現実に、どうやって耐えていくんだ」というセリフが抜粋されており、まさに作品のネガティブな側面が集約されていると思います。
飲み続けて早死にすることで現実から離脱するか、それともやめ続けるという現実に耐えながら長生きするか、どちらも決して幸福な選択肢には見えません。
それでもお酒をやめて生きることで何かしらの幸せを取り戻すチャンスがあるのならば、私たちはその可能性に賭ける手伝いをしていきたいと考えています。たとえ何度失敗したとしても、そこに治療の意味はあります。

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