明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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慣れる

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あなたは自分の鼻の中のにおいを知っていますか?

鼻の中の老廃物を取り出してにおいを嗅ぐといかにも「老廃物!」というにおいがするのに、鼻の中ではにおいません。そもそも鼻の中がずっと臭かったらそれだけで不快ですし、物のにおいもわかりません。でも実際には鼻の中のにおいは全く気にならず、物のにおいも判別できます。不思議です。
他にもパチンコ屋の音を外から聞くとものすごくうるさいのに中にいる人は全然平気だったり、暗い場所でもだんだん目が見えてきたり、最初は辛かったものが一口ごとに食べられるようになってきたりします。
人間の身体は実に巧妙に"慣れる"ようにできています。


こうした身体的な感覚だけでなく、精神的、社会的なストレスに対しても人間は慣れることができます。
例えば新しい環境で生活する場合、慣れない仕事、慣れない人間関係、慣れない食生活、慣れない気候に最初は強いストレスを感じますが、次第に慣れてきます。

精神科診療でもそのプロセスは非常に重要であり、特に初めて入院になった患者さんにつぶさに観察することができます。
入院当初は病院の環境や食事や自分が精神科に入院になった事実が耐えがたく、非常に強いストレスを感じますが、日を追うごとに環境に適応することができるようになっていき、最初の苦痛をあまり訴えなくなってきます。
これは治療者にとっても本人にとっても喜ばしい変化であり、この適応する力と「退院したい」という前向きなエネルギーを利用することで、自力での症状改善も期待することができます。


しかし私はこうした慣れによる変化を嬉しく思うと同時に、あまりにスムーズに慣れていく姿を少し不気味に感じることもあります。あれだけあったストレスは、いったいどこに行ってしまったんでしょうか?
おそらくは生理的に処理されるストレスと、自身の内側に蓋をして抑え込んでいるストレスの二種類があるのではないかと思います。

前者は最初に記したような神経的な変化がメインであり、五感が感じる新しい刺激に対して、それをだんだん"新しくない刺激"にする作用が働いています。また思考の過程を変化させることにより、自分の中で"なし"だったものを"あり"にすることもある程度は可能です。

一方で後者の場合、これはいわゆる"我慢する"過程になります。嫌だけど我慢してやり続けることによって、自分自身を無理矢理適応させていく。日本人の好きな"努力"や"根性"の世界です。
この方法はストレスを上手に処理する発想ではなく、ストレスは絶対にあるという前提で、それに頑張って立ち向かっていくという発想になってきます。すると必ず出てくるのが、脱落者です。
今よりもずっと"努力"や"根性"が礼賛されていた時代、みんながみんなその二つの言葉を胸に乗り切れていたわけではなく、脱落していった人は見向きもされずただ置いてけぼりにされるだけでした。しかし最近ではこうした人たちに少しずつスポットライトが当たるようになり、良くも悪くも状況は変わっている気がします。

処理できているストレスと抑圧されるストレス、この二者をはっきり区別することは難しく、どちらもあまり意識されない部分で作用しています。しかし抑圧されるストレスが多くなってくると、一見慣れているように見えても次第にストレスは蓄積され、なにかしらの破たんをきたしていくのです。
ブラック企業に勤めてうつ状態になっている人も「最初のころに比べたらずいぶん慣れたんですけどね」と言いながらどんどん悪化していきます。


生きていく上でストレスは絶対につきものであり、それに対して慣れることで、どうにかこうにか生きていくことができます。慣れの仕組みは非常に巧妙にプリセットされており、巧妙過ぎてそのほとんどは意識の下で行われています。「今慣れた!」と自覚できるものではなく「だんだん慣れてきた」となっていくのもそのせいです。
慣れているようで本当は慣れたふりをしているだけだった。自分と自分の騙し騙されあいの中で、人は適応し、ときに不適応を起こします。

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