明日も精神科医

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この治療法が効く!効かない!

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先日書店の医療関係書籍の棚を見ていたところ「○○療法ががんに効く!」の本の真横に「○○療法の嘘!がんには効かない!」という本が並べられていました。
書店員のなかなかの悪意を感じると同時に、「この二冊ってどっちが売れるんだろう?」と思いました。


誰もが健康でいたいと思っています。タバコを吸い、酒を飲み、乱れた食生活でブクブクに太り続けているような人でも、黒ウーロン茶にはなにかしらの期待を委ねてしまう、それが人情です。
健康を保つための情報には価値があり、書籍や新聞、テレビ、ネットなどあらゆるメディアに溢れる情報を得ることでその欲求は満たされ、安心を得ることができます。

しかし安心を得るということは、裏を返せば常に不安を抱えていることも意味します。「もし今の健康が突然失われたらどうしよう」「今の生活が実は健康に悪かったらどうしよう」という漠とした不安が根底にあるからこそ、健康に関する情報に人は興味を示すのです。
すると今度は不安をあおる情報にも価値が出てきます。「この食べ物は買ってはいけない!」とか「かくれ高血圧の恐怖!」とか「医者が出す薬は飲むな!」とか、これまでに受け入れてきた常識や権威を声高に否定することで世の中に警鐘を鳴らし、「このままではあなたは不健康になりますよ!」と煽りたてるタイプの情報です。テレビの健康番組などでよく見られる手法であり、人々の安心を願って発信するというよりは多分に商業的な印象を受けます。
ちなみに精神科の薬物療法などは薬理作用が確定されてないうえに副作用がきついためか頻繁に標的にされており、いつだって言われたい放題の状況です。

健康という名の安心を得るための情報を集めれば集めるほど、その情報を否定されたときの不安は強くなり、また別の情報を集めてはさらに別の不安を煽る情報も発信され続けます。個々の情報は健康になるためのささやかなもののはずなのに、まじめに調べ続けるほどにどうすれば健康になるのかがわからなくなっていきます。
実際そうした影響で治療を中途半端に拒否される方や、偏った食事療法で変な検査値を出てしまう人もおり、情報過多による現場への影響も表面化しつつあります。

健康でいたい、健康に関する情報を見るのも好き、でも情報が多すぎて何をどう信用していいのかわからない。
このような状況を打開するためにはどうすればいいのか、考えていきたいと思います。


1.極論には要注意
「○○療法が効く!」とか「これが正解!」とか、やたらに高いテンションと断言口調で発信する情報には注意が必要です。嘘ではないにしても、過度の誇張と情報としての偏りがある可能性があります。
テレビ、新聞、雑誌、書籍、インターネット等、どのようなメディアにしても発信者は受信者の気を引く必要があり、キャッチーかつ明解な情報を常に提供し続けなければなりません。そのためには「○○療法が効く!でも効かない人もいるかもね!」では全然ダメで、やはり「効く!」と言い切る必要があります。
それはきっと内容にも少なからず影響され、取材先の情報提供者や書き手自身が本来書きたかったものとはかけはなれた、極端な内容になってしまうかもしれません。そうなるとこれは「絶対に合格できる勉強法」や「絶対に1億円稼げるメソッド」と同じくらいうさん臭く、半信半疑かおもしろ半分で読む程度の価値しかないことがわかります。
ただ不思議なことに、同じようなテンションでも医療・健康分野ではこういった論調は批判されずに比較的すんなりと受け入れられる傾向があるようです。おそらく権威や常識に猜疑心を抱きながらも権威に追従してしまう傾向と、どこかで自分の健康について断言できるような指針を求めている心理があるのかもしれません。医療に"絶対"を持ちこむ方がよほど罪深いのですが。

2.データはどうにでもなる
情報に説得力を与えるのに統計学的なデータは非常に有用です。どんな眉唾ものの治療法でも「こんなに効きましたよ」というグラフを添えるだけで全く違った印象を与えることができます。
しかし「データがある=信頼できる」では全くなく、そのいい加減な信頼性を利用して不当な売り込みをする情報も山ほどあります。
もちろん嘘のデータを載せたら信頼性は一気にゼロに失墜しますが、嘘をつかなくても自分に都合のいい結果の出ている研究のみを引用したり、研究結果の中の自分に都合のいい部分だけを抜粋するなど、表現方法によりいくらえも印象を操作することができます。例えばある研究で「10000人中9000人に効果が出て、100人に重度の副作用が現れた」の「9000人に効果が出た」と「100人に副作用が現れた」のどちらを強調するかは発信者のさじ加減ひとつです。
本気で調べたいのなら元データの論文を入手してその妥当性を検討する必要がありますが、これは専門家でも大変な作業です。あくまでもデータのすべてが信頼できるわけではないということだけ留意してもらえればと思います。
ちなみに「アメリカの研究でも」は妙な説得力がありますが、これも要注意です。いつだってアメリカが正しいような気がしますが、さすがにもうそんな時代ではありません。

3.自分の健康について考える
結局はこれに尽きるのかなと思います。誰もが健康でありたいと願っていますが、そのビジョンはたいてい漠然としています。自分について具体的な軸を持たずに、ただただ健康であることのみを願っていては情報の選別ができず、振り回されるのは当然です。
例えば「もし自分が大きな病気になったときどうしたいのか?」を考えてみるだけでもずいぶん違うと思います。できる限りの医療を受けてどんなに苦しくても生き続けたいのか、自分が希望する医療のみを自分で考えて選びたいのか、それとも何の主体性も持たずに主治医の意向に身をゆだねるのか、パターンは無限にあり、ずっと健康でいた人であれば想像することも難しいと思います。しかし普段は目を逸らして生きている領域なだけに、いざ考えてみると生き方が多少なりとも変わるほどの価値はあると思います。
病気になることが良いことだとは全く思いませんが、病気を経験することで健康への意識が大きく変わることは事実です。どんなに頑張ったとしてもいつか急に不健康になってしまう要因はいくらでもあることをどこかで実感できれば、情報との距離感も大きく変化するでしょう。


医療の現場で働き、様々な情報に触れるほどに、医療者の考え方がいかに千差万別であるかを知ります。誰もを絶対治療できる完璧な正解を持っているものはおらず、医療者のそれぞれが患者さんを健康にするためのカギを握っていますが、そのカギが誰にどのように当てはまるかは誰も知りません。
そう思うと何をどのように信じようと結果は変わらず、医療者も所詮は運を天に任せるためのパートナー程度でしかないのかもしれません。極論ですが。

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