明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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良かれと思ってやってるからこそ。

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"ありがた迷惑"という言葉があります。ありがたいのに、迷惑。アンビバレントな感情が日常的に併在していることを表す、不思議な言葉です。

例えば家族や友人が外国に行ったおみやげに、やたら大きくてゴージャスなくせに特にきれいでもかわいくもなく、かといって実用性も全くない、よくわからないなにかを買ってきてくれたとします。
ありがた迷惑です。「これ一番高かったし、持って帰るのも大変だったのよー!」とか嬉しそうに言われた日にはいよいよ邪険に扱うわけにもいかず、家の片隅に鎮座する巨大な何かと目が合うたびにモヤモヤした気分にさせられます。
気持ちのありがたさが増すほどに、迷惑もより一層強くなるのです。


医者の仕事も似たような部分があります。
苦しさを取り除いてもらおうと病院を受診したはずなのに、薬の副作用でより一層苦しい思いをする、もう自分では治ったと思っているのに医者は「まだ通って治療を続けなければいけませんよ」と言う。とてもよくある話です。
一生懸命治療をしてくれているはわかる、それはありがたい。でも自分の希望したはずのないしんどい思いをさせれらている、それはやはり迷惑です。
極端な話、病気を良くするための治療のせいでその人が亡くなってしまうこともあります。どんなに誠意を尽くしていたとしてもその人が帰ってくることはなく、治療をしたことでいたずらに苦しい思いをさせ、さらには死に至らしめてしまった。それはもはやありがた迷惑というレベルではなく、"善意による悪行"と捉えることすらできるのです。

悪意がなかったのであれば、悪行と言うのは極端かもしれません。しかし善意に基づいているからこそ始末の悪い部分があるのも事実です。
医者が良かれと思ってやっていて、患者さんも「医者が良かれと思ってやっているから…」と思ってくれている場合、途中の誤りを指摘することが難しくなります。どこかでなにかがおかしいと気がついたとしても、気を遣い、我慢をすることで表向きの信頼関係は維持され、その一方でひずみは徐々に大きくなっていきます。
そしてひずんだ果てに取り返しがつかないことが起きてしまった場合、怒りや怨みの矛先を医者に向けることもまた難しくなります。まじめで常識的で優しくて気づかいのできる人ほど「良かれと思ってやってくれたわけだから…」と負のエネルギーを抑え込み、どこにも向けることができないまま深い悲しみと苦しみを抱え続けることとなります。
私たちはそうした人たちの善意によって医者と言う仕事を続けられており、そして私たちの善意がその人たちを苦しめ続けていることは、決して忘れてはいけません。


人のために良いことをするのは大切なことです。しかし「人のために良いことをしている」と思っていれば、なにをしても許されるわけではありません。むしろ「自分は良いことをしている」と自負している人間は典型的なエゴイストであり、まさにありがた迷惑に思われがちです。それが集団であればなおさら自重するべきでしょう。

善意とは両刃の剣です。良かれと思ってやっているからこそ人を救うことができ、良かれと思ってやっているからこそ人も自分も大きく傷つけてしまいます。むき出しにして振り回すか、それとも鞘におさめて静かに行動するかで人の価値は大きく変わる気がします。

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