明日も精神科医

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真実!

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今明かされる!衝撃の真実!!

テレビや週刊誌や本の帯などでよく目にするフレーズです。そこには大抵これまでの常識をひっくり返すような大胆な内容が書かれており、「この人が実はこんなことを!」とか「今まで習っていたことは間違いだったのか!」と私たちに新鮮な驚きを与えてくれます。
また、このフレーズを付け加えることで受け手に大きなインパクトと期待感を与えることが約束されるため、情報を発信する側にとっても便利な常套句となっています。

しかしこの"今までの常識をひっくり返す、新たな真実"というしろもの、実はかなりの曲者です。様々な心理的トリックで私たちを翻弄し、容易にコントロールしようとする危うさを秘めています。
これから語られるのは「今明かされる!『今明かされる!衝撃の真実!!』の衝撃の真実!!」です。ややこしいですね。


まずはこの"今までの常識をひっくり返す"という点に着目してみます。これがあるとないとで情報のインパクトは全く違ってきます。
例えば以前に話題になった「冥王星は実は惑星ではなかった」という話、これはなかなかに衝撃的でした。教科書にも載っていて水金地火木土天海冥の"冥"として、誰もが長年惑星として信じてきたものが否定される、まさに宇宙規模の常識がひっくり返された大ニュースです。
ではもしも冥王星という星がこれまで発見されておらず、発見された時点で惑星ではないと確認されていたらどうでしょう?「海王星の外側に新しい星が発見されましたが、おそらく惑星ではありません。」という情報となり、それはそれですごい話なのでしょうが、一般市民に与えるインパクトはまるで違ってきます。
さらに興味深いのは「冥王星が惑星じゃなかったら、じゃあいったいなんだったの?」という点にあまり興味が注がれていないところです。むしろ真実としてはそちらの方が大切なはずなのですが、正直私も特に気にもとめておらず(今調べたら"準惑星"とのことでした)、いかに"常識をひっくり返された"というインパクトに主眼が置かれやすいかを物語っています。


さらに傾向として、みんな基本的に"美しいものが汚れる様"を見るのが大好きです。イメージが否定的に覆されることに強い魅力を感じ、真実として高い信憑性を得ようとします。「清純派アイドルの真実!」という見出しがあれば、大抵汚いゴシップ記事です。「ある凶悪犯罪者が実は懸命に親の介護をしていた」とか「ある国の悪名高い独裁者が実はこんな良い政策を出していた」などという情報はウケが悪く、逆にその不信感は情報の発信者にすら向いてしまい、闇に葬られることすらあります。

これは人間を対象とした場合に言えることなのですが、美しさや優しさ、聡明さなどのイメージに対して人は魅力を感じると同時にある種の不安感を覚えます。「この人も自分と同じ汚い人間であってほしい」という願望がどこかにあり、そのしっぽをつかむチャンスを常に伺っているのです。そして何らかのネガティブな情報が明るみに出た場合、人は満たされるのではなく「騙しやがって!」と怒り始めます。ムチャクチャですね。
元のプラスのイメージが強いほどそこからマイナスに転じたときの落差は大きく、情報の受け手はマイナスの方をより真実らしく受け取ってしまいます。それはとりもなおさず"そっちのほうが面白いから"であり、結局面白い方がより真実として受け入れられやすいのです。逆にマイナスからプラスへの情報はあまり面白くなく、"衝撃の真実"として提供されることはありません。一度崩れたイメージを修復することは難しく、また"真実"という言葉がゴシップの修飾語として安易に使われていることが伺われます。


そして最も大切なのは、"真実とうたわれた情報が本当に真実なのか"ということです。先にあげた真実らしくする演出を駆使することで、情報が真実であると信じさせることができます。真実であると信じさせることは情報の発信者にとって非常に重要であり、信じてもらえることで情報の価値が与えられ、経済的な恩恵や名声にも繋がってきます。
ただそこには正真正銘の真実もあれば全くの虚偽もあります。その時点で真実であったことも次の日には嘘になり、また新たな真実が"衝撃の真実"として出現してくることも珍しくありません。件の原発事故の際の電力会社に関する情報がまさにその好例で、次々と新しい真実が公表されては前の真実が否定され、過度の混乱と強い不信感のもと、まさに日本中が真実に翻弄された事態が、長期にわたり続いていました。

日常生活から離れた事態であるほどその情報が真実であるか虚偽であるかを判断することは難しく、それは最終的に個人の判断に委ねられます。真実を知らせる情報媒体は以前より格段に増えており、かつては嘘ばかりと言われていたインターネットが、今ではテレビや新聞を凌駕する信憑性を与えられつつあることはとても興味深く、そらおそろしいものを感じてしまいます。


真実を知りたいという気持ちと真実を知らせたいという気持ちは常に存在し、私たちは新しく更新された情報を"衝撃の真実"として受け止め、古い情報を虚偽であったかのように受け止めてしまいがちです。精神の内面ですら「本当の自分に気づきました」とか言ってしまう始末です。
実際には全てがそのような単純な構図におさまるものではなく、中には真実に見せかけられた嘘もあれば、覆されようとされる古い真実より信頼性の低い真実もあります。ときには複数の真実が同時に存在することすら十分にあり得るのです。

"今明かされた!衝撃の真実!!"も、かつて信じてきた日常的な真実と等価値であるとみなし、自分の中の情報を更新するか保留にするか、それとも併存させるかを考えることで、世界を冷静に、より客観的に捉えることができてきます。
「真実は、いつも一つ!」は嘘です。

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