明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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数字にまつわるあやふやなインパクト

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だいぶ前に友人が話していたことが、いまだに引っかかっています。

たしか数人でどこかに旅行に行って、旅館のロビーでテレビの天気予報を見ていた時だったと思うのですが「降水確率50%というのはあまりにも無責任だ。『晴れるかもしれないし降るかもしれない、その確率は半々です』という意味で何も言っていないに等しい!やる気あんのか!」と天気予報士に向かって憤慨していました。
正直どうでも良かったですし、その妙な説得力に押されてなんとなく「そうかもなー」と思っていたのですが、「やっぱりそうじゃないんじゃない?」と後になって思い、ただどうそうじゃないのかがうまく説明できないまま、今でもモヤモヤとしています。


何事においてもそうなのですが、将来の方向性を決定する際に、確率や統計的データというものは非常に頼りになるツールです。受験する大学を決める時には偏差値がいくつで去年の倍率がいくつというデータを勘案した上で志望校を決定します。新しい薬を導入する際なども何%の人に効果が出て何%の人に副作用が出たかを調べた上で、使える薬かどうかを検討していきます。
しかし注意しなければいけないのは、数字の情報はただの情報であり、数字そのものはなに一つとして決定をしてくれないというところです。数字はあくまで参考であり、物事を最終的に決定するのは人間の意志です。そして決定される意志は数字とそれに付帯する情報の与えるインパクトにより、大きく左右されます。

例えば毎年多くの医学生が地獄を見る医師国家試験の合格率、これは毎年およそ90%程度で調整されています。これを"9割が受かる試験"と思うと「受かって当然、落ちたら恥ずかしい」という気持ちになりますが、"10人に1人が落ちる試験"と思うとなんとなく「落ちる試験」のような気がしてくるから不思議です。
また薬の説明をする際にも「Aという副作用は100人に1人程度の確率で起き、Bという副作用は1000人に1人の確率で起きます」と説明するより「Bという副作用は1000人に1人の確率でおき、Cという副作用は10万人に1人の可能性で起きます」と説明するとBの副作用はなんとなく起きてしまうんじゃないかという気にさせてしまいます。「Bという副作用は1000人に1人の確率で起きると言われていますが、私はこれまでに3人この副作用を見ています」とか話したりしたらなおさらです。
数字は常になにかしらの説得力を与えてくれてますが、そこにわずかに情報を付帯しただけでその説得力は大きく左右されてしまいます。

また数字の情報にさらに情報を付加することで、そのインパクトが急激に薄れることも多々あります。
例えば統合失調症は「およそ120人に1人がかかる病気」と言われており、これは患者さんや家族などに決して珍しい病気ではないことを説明するために良く使われるフレーズです。しかしさらに詳しく説明すると「生涯に統合失調症に罹る可能性はおよそ0.7%で、1年間の新たな統合失調症の発症は10万人あたり15人程度と言われています(厚生労働省ホームページより)」となります。
この数字のズレは慢性疾患であり罹病期間が長いことに由来するのですが、一気に人数が多いのか少ないのかよくわからなくなってしまいます。より正しい情報なのかもしれませんが、メッセージ性は下がり、説明のための情報としての価値が低くなっていることは否めません。
資料やプレゼンテーションなどでもデータを詰め込み過ぎることで情報の全体像がつかみづらくなり、結局なにが言いたいのかが伝わらなくなることは全く珍しくありません。


数字というのは客観的な情報であり、かなり信頼性の高い情報です。科学的知識の多くは数字によるデータを集積することでその普遍性を得ようとしてきました。しかし、その数字を提示するのも解釈するのも人間であり、そこからどういった印象を受けるかは、人によって全く異なるまさに主観の世界です。
たいていの人は提示された数字にまつわる情報を一義的に理解しようとします。情報に数字が付加されていれば、それは"信頼に値する情報"とみなされます。数字+説明に対して、それが数字にまつわる説明なのか、説明を裏付けるために付与された数字なのかについてもあまり疑おうとしません。
こうした数字に対する信頼性、客観性のイメージを巧みに利用することで、情報のインパクトはいとも容易く操作することができます。同じ数字でも大きく見せたり小さく見せたり、高く見せたり安く見せたり、強く印象付けたり煙に巻いたりすることができるわけです。上手なプレゼンテーションほど、プレゼンターの意志が数字に強く反映され、聞き手も率直にそれを受け入れてしまいます。わかりやすい説明や印象的な演出を楽しみつつも、「本当にそうなの?」と思う冷静ないやらしさはとても大切です。

あらゆる情報の解釈は一つではありません。何が真実かという話ではなく、自分の解釈も他人の解釈も信用に値するものであると同時に、ときには疑い、異なった視点を持つことで新たな広がりを得ることができます。
「降水確率50%は晴れとも雨とも言ってない」と見るか「降水確率0%の日よりは50%も雨が降る確率が高い」と見るかは自由です。どう解釈するかで、カサを持っていくかどうかが決定されます。

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