明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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嘘つきとのつきあい方

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とにかくよく嘘をつかれます。それはもう日常的に。
薬をかかさず飲んでいます、お酒は飲んでいません、タバコも吸っていません、暴力は振るっていません、退院したら誰にも迷惑をかけません、入院費は来月払います、おばあちゃんは来週迎えにきます等、挙げていけば本当にキリがありません。学生時代に先生が言うことをハイハイと聞きながらいろいろとせこいことをしてきましたが、それと全く同じことを大人相手にされている状況です。いくつになっても人間は変わらず、立場が変わって初めて見えてくることの多さを実感します。

「嘘つきは目を見たらわかる」と聞いたことがありますが、嘘をついたときに目が泳いだり挙動不審になるような人は嘘をあまりつきなれていない人か、嘘をつくこと自体に相当の罪悪感を持ってしまう人です。善い人です。実際の現場はそんな生やさしいものではなく、思い切りこちらの目を見据えながら堂々と嘘をついてきたり、日常的なやり取りの中にサラッと嘘をおりまぜてくるため見破るのは大変です。ただ傾向として、自分が不利になる約束自分からを率先して提示してくる人はだいたい嘘です。「でもそれが無理だから、今ここにおられるんですよね?」と私に一蹴され、診察室に悲しい空気が漂います。


当然のことですが、嘘をつく人は自分自身のために嘘をつきます。嘘をつくことによる自分へのメリットが、嘘をつかないことによるメリットを上回った時に人は嘘をつきます。がんの非告知のように「相手が本当のことを知ったらかわいそうだから」という理由で嘘をつくこともありますが、あれも相手を傷つけてしまうことで自分が傷つくことを恐れているからの嘘であり、同じです。むしろ自分が嘘をついた責任を相手に押し付けて正当化しようとしているため、より性質が悪いです。こうした嘘にかかわる人たちは、その無責任さをもっとうしろめたく思うべきだと思います。
そして嘘をつく理由の大半は、自身の欲望に基づいています。食欲、性欲、金銭欲、名誉欲、酒、たばこ、薬への欲求、自由への欲求など、その欲望が本能に近いほど欲求の程度も強く、人を簡単に嘘つきに変えてしまいます。恋愛における浮気なんかはその最たるものでしょう。
自身のアイデンティティを維持するためや、ミュンヒハウゼン症候群の疾病利得のように複雑な嘘をつかれるケースもありますが、その根源にある欲望は案外とシンプルなものかもしれません。


では実際に嘘をつかれた場合、その嘘はどこまで見破るべきであり、嘘をついた人はどこまで責められるべきなのでしょうか?
警察や検事のように、相手の虚偽を徹底して糾弾しなければならない仕事もありますが、精神科医療の現場や日常生活においてはそこまでしなくてもいいケースも多くあります。むしろこちらが騙されたまま放っておいたほうが関係が良好に進むことが多いことも事実です。相手を嘘つきと疑い見破ろうとする行為は、これまでの関係を容易に破壊するリスクをはらんでおり、相手が本当に嘘をついてなかった時など、それはそれは悲惨な展開になることが予想されます。
かといって相手に対する疑惑の気持ちを抱え続けたまま関係を保つこともまた、多大な精神的ストレスを及ぼします。疑い続けることで相手のすべての発言、挙動が不審に思えてしまい、些細なことで腹が立つようになり、果てには「相手は嘘をついているに決まっているから自分も嘘をつく権利がある」といった発想に至ってしまうともはや信頼もなにもあったものじゃありません。お昼のドラマのような世界になってしまいます。

嘘を責めることは難しく、疑惑を抱えつつ、それを我慢して生きることもまた難しいです。誰も嘘をつかなければ万事解決なのですが、嘘をつくことは非常に容易であり、まったく嘘をつかずに生きていくことが一番難しいという事実はいよいよ悩ましい限りです。
そうなってくると結局、”どこまで許容できるか”が課題になってくるのではないかと思います。誰もが日常的に大なり小なり嘘をついていて、それらを許したり許さなかったりで生活しています。ならばその許すラインをできるだけ上に押し上げることで、少なくともストレスをだいぶ減らすことはできそうです。

嘘を許すうえで一番問題になってくるのが、”仮に相手が嘘をついていたとして、それに対して自分がどれだけムカつくか”です。嘘をつかれた側が感情的に不愉快であればあるほどその嘘は許し難く、逆に不愉快でなければそれほど大きな問題にはなりません。若いカップルで恋愛的にピークに達した状態での浮気と、互いを労働力としてしか認識していない熟年夫婦の浮気とでは、嘘に対する不快感はまったく違うものでしょう。
嘘に対する不快感の度合いは、相手自身や相手の行動に対する自分の思い入れの強さに比例します。相手を大事に思っていればいるほど、その不誠実な態度は許し難いものになってくるのは当然です。自分の中のその人の価値を思い切り下げてやればまったく気にもならなくなりそうですが、それもあまり上策とは思えません。

まずは自分の中に湧き上がっている不愉快な感情をどのように処理していくかが、大切なポイントです。
様々な方法がありますが、”相手が嘘をついた理由について思いを巡らせること”はとても有効です。”嘘をついた→許せない!”ではなく”嘘をついた→なぜこんな嘘をつく必要があったのか?”を考えることで、相手の立場、自分の立場、相手の自分に対する思いやりを冷静に見つめることができます。そこから嘘そのものを責めるのではなく、嘘をつく原因になった問題に対してアプローチができれば、衝突することなく協力して危機的状況を乗り切れるかもしれません。うまくいけば「あのときは嘘をついていました。ごめんなさい」と話してくれる可能性もあります。そのときはここぞとばかりに「あなたへの信頼はガタ落ちです。私がどれだけ苦しんだかわかってください。もう二度と嘘はつかないでください」と思う存分相手を責められるチャンス!


嘘をつくことは誉められたことではなく、嘘をつかれると誰でも腹が立ちます。しかし嘘もまたコミュニケーションの一つです。嘘を通じて分かり合えることもあれば、嘘をつくことからなにか大きな問題が解決することもあります。
嘘をつくことを楽しむのは推奨しませんが、嘘つきをどのような方法で追い詰め、その嘘からさらに良い関係を築くためにどうすればいいかは、一計を案じる価値があります。すべてはゲームであり、楽しんだ人の勝ちです。

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