明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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病識

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いつも通りの生活をしていたら、ある日突然家族にむりやり病院に連れて行かれ、目の前の医師に「あなたは精神の病気です。今からこの病院に入院してください」と言われた場合、あなたならどうしますか?

素直に受け入れてすんなり入院生活を始められる人はまずいないと思います。「私は病気じゃない!これは陰謀だ!」などと主張しようものなら、「陰謀とか言ってしまうのはだいぶ症状が重いですね、やっぱり入院が必要です」となってしまい、さらに入院を確たるものにしてしまいます。
気持ちを落ち着け、周りの言うことを理解し、話をできるだけ合わせつつ、自分が正常な日常生活を送れていることを的確にアピールできればその場を切り抜けることができるかもしれませんが、必死で抵抗しようとすればするほど危険性の高い患者であるとみなされ、入院生活はさらに厳しいものとなってしまいます。部屋には鍵がかけられ、身体拘束も余儀なくされてしまうかもしれません。そんな光景が、精神科病棟では日常的に繰り広げられています。

そして精神科としての治療を始めるために、医者は「あなたが病気であること」を説明し、理解してもらおうとします。自分が病気であることを分かっているかどうか、これがいわゆる"病識"です。


"人間仮免中"という漫画は、卯月妙子という女性が、漫画家、ストリッパー、カルト系ハードコアAV女優、舞台女優等の遍歴の果てに一人の男性と出会い、また幼少期から患っている統合失調症と向き合いながら生きていく様を描いた自伝的作品です。
その内容は日常的でありながら、凄絶という言葉では言い表せないほどの迫力に満ちています。"ツレがうつになりまして"のような「精神疾患を患っている人の生活はこんな感じなんですよ」といった作品とは確実に一線を画しており、もう何が妄想で何が現実かわからない、自分の世界と他人の世界の曖昧な境界を行き来しながら、天国でも地獄でもない業苦にまみれたこの世の中を、一人の女性として大切な人を想いながら生きていくという、まさにロマンス、アクション、ホラー、コメディといった要素が濃密に詰まった一大エンターテイメントです。


この作品の中で主人公(作者)は、現実の世界と妄想の世界を何度も行ったり来たりします。妄想の世界は現実から完全に独立しているわけではなく、電車の中つり広告が全て自分を殺そうとする内容になっていたり、恋人の保険金が何者かに騙し取られようとしていたり、隣のベッドで寝ている老人を看護師がすりつぶしたり、自分を占い師だと思い込んだりと、様々な内容で主人公を苛みます。
客観的に妄想だとわかっているときもあれば、妄想であるという自覚がまったくないときもあり、読み手にもこれが現実なのか妄想の産物なのかわからないこともあって、妙な臨場感というか生々しさに満ちています。

そして、この主人公の病識は非常に不安定です。罹病期間が長いため、基本的には自身の病気について理解しており、通院や服薬もまじめにしています。しかし妄想に没入しているときや、些細なきっかけから「自分はもう良くなったから薬を減らしても大丈夫」と思いこみ、減薬して病状を悪化させたりしています。

こうした状況は統合失調症の方では珍しいことではありません。病識の程度は人によって、病状によって様々です。まったく病識がないことから一切の治療を拒否する方も大勢います。こうした人たちにとって医療者はむしろ"自分を病気だと決めつける相手"であるため、頑なに心を閉ざされ、コミュニケーションはとても難しいものになってしまいます。

しかし病識を持つということは、「あなたの生きている世界は間違っている。それは病気の世界だ」という他人の意見を受け入れることであり、自分のこれまで生きてきた日常を自ら否定する作業です。たとえばあなたが「いまあなたが生きていると思っている日常はあなたの夢で、本当はせまい病室でずっと寝たきりなんですよ」と言われたら、それを現実として受け止められるでしょうか?
どんなに荒唐無稽な妄想であっても、それは当事者にとっては紛れもない現実であり、他人の介入によって容易に修正できるものではないのです。


精神科医としての私の仕事は、妄想が起きている原因になっている(と言われている)脳の伝達物質を薬で調整し、患者さんが現実世界で生きやすいように手助けをすることです。うまくいけば妄想はすっきりとなくなり、なに不自由ない現実生活を送ることができるようになります。
しかし治療の過程で精神状態が動揺することで、こちらから見てもなにが妄想でなにが正常な認識なのかわからなくなるときもあります。
そのときに大事なのは"妄想を根絶すること"ではなく、"その人にとっての現実を生きやすくする"ことです。たとえ自分の病識が全くなく妄想バリバリの世界に生きていても、自分も周りも問題を感じていなければその方が高いQOLを保てる気がします。むしろ医者がやっきになって大量の服薬や長期の入院生活を強いる方が、よほど残酷です。

個人や社会にとってなにが問題でなにが問題でないのかは非常に難しい問題です。しかし個人や社会が、自分と異なる生き方をしている人たちに対してもっと寛容であろうとする姿勢は大切だと思います。
この物語の中で精神障害者であり身体障害者にもなった主人公は、周囲の気遣いや思いやりに感激し、感謝する描写をいくつも描いています。それはきっと障害者である自分が社会に受け入れてもらえるかどうかという不安の顕れであり、多くの精神疾患を抱える方が同じように抱いている不安だと思います。

この物語は世の中を良くしようとか、そんなメッセージを伝えるために描かれたものではないかもしれません。
しかしこの本を通じて、自分の目の前の現実が全てではないこと、人によっては全く異なった現実を生きていることを知ってもらえれば、"病識"の概念は少しずつ緩やかなものになっていくかもしれません。それは精神科医としてはとても嬉しいところです。

karimen

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