明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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ダークサイドに目を向けろ

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"ダサTウォーズ"というイベントをご存知でしょうか?
端的に説明すると、ダサいTシャツをみんなで持ち寄って誰が一番ダサいかを決める大会なんですが、東京を発祥に名古屋、京都、岐阜、沖縄など様々な場所でひっそりと開催され、変な盛り上がりを見せている愉快な催しです。
私も過去になんどか出場したことがあり、相当な気合いの入ったTシャツを持参していくのですが、毎回自分の目を疑うほどダサい他の出場者に優勝をさらわれ、悔しい思いをしています。

それにしてもこの"ダサい"という価値観、追及していくと様々な発見がありとても面白いです。
まず当然のことですが、"ダサさ"を売りにしているお店はほぼありません。インターネットオークションで「Tシャツ ダサい」で検索してもほとんど引っかかることはなく、出てきたとしても中途半端なおバカTシャツが関の山です。スーパーの洋服売り場とかはだいたい垢ぬけていなくていい感じなのですが、それでも多くの人が着ることのできる無難なデザインが大半です。普通の服屋さんで「一番ダサいのください」と言ったら、キョトンとされるでしょう。

そもそも考えれば考えるほど"ダサい"とはどういうことなのかわからなくなってきます。"かっこ悪い""田舎くさい""垢ぬけない"などが近いニュアンスだということはわかるのですが、数年前は最新のファッションだったのがいつの間にかダサくなっていたり、最新のファッションに身を包んでいるはずのに奇跡的なほどダサい人もいます。不思議です。
ついには「"田舎"を"ダシャ"と読み、そこから"ダサい"に転じた」とか、「"だって埼玉だから"の略である」とか語源まで調べる始末。埼玉の田舎に行けばなにかがわかるのでしょうか…?
ともあれ時代とともに常に変遷し、不安定なものでありながら人の目が存在する限り厳然と存在する、やたら否定的な価値観であるということはわかってきました。

そんなことを考えているうちに気づいたのは、「私たちはふだん"ダサくない"ように生きている」という事実です。「誰よりも一番おしゃれでありたい!」とみんなが考えているわけではないですが、「ダサいと思われたくない」と考えている人はきっと多いでしょう。服を買いに行く時も"ダサい"と認識された服は気にとめられることはなく、自分が気に入るかっこいい服を探しているはずです。
人間の目と脳が自分の見たくないもの、見る必要のないものを認識しないことで情報効率を上げているとすれば、ダサいものはそもそも視界にすら入ってこないことになります。
世の中にこれだけの物と情報があふれ、限られた時間と空間の中で過ごすことを思うと、こうした情報処理は必然的なものですが、なんとなくもったいない気もします。

少なくとも私は"ダサい"を追求することで、服の見方に変化が現れました。これまでかっこいいもの、おしゃれなものとやっきになって探していた状況に"一番ダメなもの"という別の価値基準を加えることで、良い物の良さがさらに際立つようになってきたのです。服それぞれの個性も新たに見えてくるようになり、"ダサい"と"かっこいい"の中間に位置する服にも自分なりの評価を加えることができるようになりました。
明らかに自分の感性が以前よりも豊かになっており、自分にとってかっこいいかどうかの判断も早くなったことから、失敗も減り、買い物の効率も上がっています。実に良いことづくめです。


こうした反対の価値に目を向けることで価値観の幅を広げるという発想。こんなに良いことづくめならば、なにか他のことにも応用できないでしょうか。
例えば、誰か人を好きになったとします。その人に好かれたいと思う場合、往々にしておちいりがちなのが「この人に嫌われたくない」という考えです。本当は好きになってもらいたいのに「嫌われたらどうしよう」と思うあまりに萎縮してしまい、好かれるためのアプローチができなくなる。そうこうしている間に時間ばかりが経って結局なにも進展せず…。なにか自分のことをいろいろ思い出して悲しくなってきますね。
そんなときに発想の転換として、「じゃあどんなことをしたらその人に嫌われるか?」一番嫌われる方法について思いを馳せてみます。するとわかるのは、相当なことをしないと人間は人間を嫌いにならないこと、本気で嫌われようと思ったら好かれようとするのと同じくらい時間とエネルギーを必要とするということです。
関心を持たれようと思ったら距離を縮めなければならず、そこにはもちろんリスクが伴います。「どうしたら好きになってもらえるか」は考えれば考えるほど難しいです。でも「どうしたら嫌われるか」はいろいろと思いつくことができます。死んだ魚のような目で「呪う」と吐き捨てたら確実に評価は下げてもらえることでしょう。
もちろんそれだけを避けたら万事がうまく行くわけではないですが、「嫌われないように嫌われないように」と思ってなにもしないよりは、「どうしたら嫌われるか」を徹底的に考えて「まあそれさえしなけりゃ大丈夫だろう」と行動に移した方が、状況に余裕ができ、少なくとも後悔のない結果は得られると思います。
なにかに行き詰まりを感じた場合、こうした視点の切り替えは非常に有効です。


生きることは、取捨選択することです。何かを選び、一方を捨てることで目を向けられなくなった価値観はきっとたくさんあります。
肯定的な価値の影に隠れた否定的な価値観、そこを改めて見つめることで世界の幅は広がり、輝いていたものの輝きもよりいっそう強く感じられるはずです。
世の中に閉塞を感じている人、日常的な幸福に麻痺し、退屈を感じている人にはおすすめします。


しかし影には様々なものが潜んでいるのも事実です。深すぎる闇は一人で潜らないようにしましょう。そのときは精神科医もお供いたします。

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