明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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ソーリーは禁句。

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インフォームドコンセントの普及と医療訴訟の増加により、医師と患者の関係は大きく変化しつつあります。
かつての「お医者様の言ったことは絶対。患者はそれに黙って従うべき」といった風潮は時代遅れとなり、医師‐患者間で十分に情報を共有し、理解と同意を得た上での治療というものが現代の理想となっています。

そのため医師の患者さんに対する態度は以前よりもずっと配慮されたものとなり、なかでも「謝ること」については非常に慎重なものとなっています。

なんらかの問題が起きたとき、謝ることで自らの非を認めたこととなり、問題の責任は相手ではなく自分にあるのだということを認めたことになります。そうなれば問題が裁判にまで発展した際、非常に不利な状況に陥ってしまいます。「自分が悪かった」と謝ることは「相手は悪くなかった」と同時に認めたこととなり、謝った事実の有無により裁判の結果が大きく左右されてしまうのです。医師が自らの身を守るために、容易な謝罪は勧められないものとなっています。

たしかにこうした発想は大切です。しかし私が日本人だからでしょうか?どうしても強い抵抗感を覚えてしまいのも事実です。
例えば入院された患者さんが、入院のきっかけとなった病気とはまったく別の理由で突然亡くなったとします。当然ご家族のショックは計り知れないものであり、怒り、悲しみ、救えなかった自己の無力感、様々な感情が渦巻く非常に不安定な精神状態になってしまいます。
そのとき医師は患者さんが亡くなってしまった理由、亡くなるまでに行った処置について十分な説明をしなければいけません。あくまでも死因がこちらの非によるものでなければ、そのことについてもしっかりと言及する必要があります。
しかし仮にこちらに一切の落ち度がなかったとして、その説明のみを淡々と患者さんの家族にし続けたらどうでしょう。「悪いのは自分ではない」「裁判をしても無駄だ」と暗にアピールすることで医師自身の身を守ることはできますが、患者さんの家族がそれで救われることは一切ありません。
患者さんも家族も医師と病院を信頼し、元気に退院してもらうことを願って入院を同意したのですから、その悲しみ、憤り、怒りが医師や病院に向いてしまうことはやむをえないのです。その感情はこちらにとっては重く苦しいものですが、それでもその悲痛な思いに共感し、できるだけ誠意を持って和らげることが重要なメンタルケアだと私は思っています。

そう考えるとどうしても「ご本人やご家族に信頼して入院してくださったにも関わらず、このような事態になってしまったことは誠に申し訳ない限りです」という言葉が口をついて出てしまいます。
死の原因についての謝罪ではないにしても、訴訟を考える上では非常にリスクの高い発言です。それでも自らの保身のみを考える医者よりは、自らの無力さを認め、救うに至れなかった自分をご家族の前で詫びることのできる医者でありたいと思ってしまいます。
仮に自分自身が家族を亡くしてしまったとしても、そうした誠意を見せてくれることで「少なくともこの医師に看取ってもらえてよかった」と思うことができるかもしれません。そんな医師に私はなりたいです。


安易な謝罪の否定は新しく取り入れられた観念であり、自己の利益よりも周囲との調和を重んじる日本人にはどうしても違和感のあるものだと思います。"I'm sorry"が自身の感情を表す表現であるのに対して"申し訳ありません"が相手の感情に配慮した表現であることも無関係ではなさそうです。

現代社会を生き残るためには甘い考え方であり、いつか狡猾な人間に寝首をかかれることもあるかもしれません。それでも私は和と思いやりを大事にする高潔な日本人であり続けたいです。
自分が謝ることで相手も謝り、それでお互いを許しあうことができる。この文化は否定されるべきものではなく、むしろ世界に向けてもっと波及すべきものだと思います。

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