明日も精神科医

スポンサーサイト

Posted by kobayashi_kei on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死んでしまうのはダメですか?

Posted by kobayashi_kei on   0 trackback

「死にたい」という気持ちに対するケアは、精神科医の重要な仕事の一つです。
何年か前からから日本の自殺者は年間30000人を超えるようになり、社会問題の一つとなっています。自殺予防のための様々な対策がなされていますが、その数に大きな変化は見られていません。

自殺に至る経緯は人によって異なります。手段も様々です。各々がどうしようもない悩みと苦しみを抱え込んだ末に自殺という最終手段に至るわけですが、その8割以上にうつ病や依存症、統合失調症等の精神疾患を抱えていると言われています。
治療をすることで生きる希望を取り戻すことができるのならば、そこに介入する価値は高く、精神科医が自殺ケアに携わる最も大きな理由となっています。


実際私もこれまでに何人もの自殺未遂者と関わってきました。それぞれに深い事情を抱えており、じっくりと話を聞いていく中で「自殺はしないほうがいいですよ」という話に持っていくことがほとんどです。しかし正直を言うと、私は常に一抹の迷いを抱えています。
自分の人生を自分の手で終わらせようという決断、死の恐怖や不安を乗り越えた覚悟、それらを私が否定する権利はあるのでしょうか?

もちろん全ての自殺行為が、一概に否定しきれない重たさを持ったものではありません。むしろその大半が突発的な衝動行為、もしくは習慣的な依存行為という印象です。
勢い任せの衝動行為であれば、冷静に自身の状況を顧みてもらうことである程度は思いとどまってもらうことができます。リストカットや大量服薬のような自殺行動への依存の場合は、むしろ「生きたい」という気持ちが強いことが多く、なんとかその習慣を是正する方向に向かってもらう必要があります。もちろんどちらも油断は禁物ですが。

しかし中には、絶望的な人生に対して非常に冷静に向かい合っている人がいます。重い病気を抱えている、経済的に困窮している、最愛のパートナーを失った、生きてきて何一つ良いことがなかった、など事情は様々ですが、長い時間をかけて"生きること"と"死ぬこと"を天秤にかけ続け、最終的な決断としての死を選んだ人たちです。
こうした人たちの"死の決断"は人生の一部です。できるだけ誰にも迷惑をかけたくない、苦しい思いをして生き続けるのなら今このタイミングで死にたいと、強い覚悟を持って自らの人生の終焉を望んでいます。
この決意を頭から否定し、生き続けることを強要することは、それこそ地獄に引き留めようとする行為に等しいものです。望まれない延命治療と同じく、医師の患者に対する最大の越権行為とも言えるでしょう。

かといって自殺を肯定することもできません。家族は自殺に至らせたことを嘆き、後悔し、もう絶対にそんなことをしないでほしいと話します。私もまた生きることに携わる人間であり、その人に関わってしまった以上は死を推奨することはできないのです。
"安楽死"や"尊厳死"といった概念も広まりつつありますが、それも少なくとも死を、自殺を推し進めようとする考え方ではありません。社会はまだまだ死に対して不寛容な印象ですが、生物としてはそれが健全な形であると思います。
ただそれでも今後さらに社会の意識は変化し、"選択肢としての死"はゆっくりと受容されるものになっていくでしょう。現在の自殺率の高さもこうした巨大な時流の一部だとすれば、なんとなく身震いをするような恐ろしさを感じてしまいます。


自殺を完遂してしまった人たちに関わることはできないため、医療者が出会うのはいわゆる"死に損ねた人たち"です。私は運命についてはあまり考えないほうですが、生き延びてしまったことには何かの意味があるのではないかと思ってしまいます。

ドアノブとタオルだけで死に切れる人もいれば、車で海に飛び込んだのに何の後遺症もなく生き残る人もいます。
死のうと思ったのに生き延びてしまい、たまたま病院に運ばれて、たまたま私と出会うことになった。そこには何の意味もないのかもしれませんが、人と人が出会うことにより、何らかの意味を作り出すことはできます。
そもそも生きること自体に絶対的な意味はありません。今日も明日も生き続けることに意味を見いだせるかどうかは、その人次第です。私は、一度終わろうとした人生を再び始めるかどうかの重要なターニングポイントでその人と関わります。そこで改めて生きることの意味を再確認し、新しい意味を見出すことができれば、もしかしたらその人は生き続けることができるのかもしれません。

それを促すことが精神科医としての私の役割なのでしょうか。いやどちらかというと宗教家の仕事かもしれないし、むしろあらゆる人々が担うべき根源的な役割なのかもしれません。

やっぱりまだまだ何もわかっていないようです。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

スポンサーサイト

Trackback

trackbackURL:http://ashitamoseishinkai.blog.fc2.com/tb.php/36-3b5a2b70
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。