明日も精神科医

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Posted by kobayashi_kei on

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あなたといっしょなら

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あるところに、酒に溺れた一人の男がいます。
かつて男は仕事も友人も酒で失い、孤独と絶望からさらに酒に逃げ込まざるをえない生活をしています。男には妻がいます。妻は働かない夫に代わって生活を支えようと懸命に働きますが、男は妻に暴力をふるい金をむしりとり、その金でさらに酒を飲み、帰宅するたびに妻と口論をし暴力をふるうという地獄のような状況に陥っています。
妻は思います。「あの人は昔はあんなに優しかったのに…。お酒が全てを変えてしまった。お酒さえやめられたらあの人はきっと昔のあの人に戻ってくれるはず。私はそう信じてる。そのためには私は絶対あの人を見捨ててはいけない。私がいなくなればきっとあの人はさらにお酒を飲んで、すぐにでも死んでしまうから…。」
妻は男の暴力に耐え、吐しゃ物や糞尿の始末をし、迷惑をかけた近所にも謝罪して回るなど献身的な介護を続けますが、状況は一切改善せず、酷くなる一方です。
日に日に絶望が深まっていく中、妻の前にある一人の人物が現れて…。


ドラマや映画でよくありそうなエピソードです。ここから先は新たなロマンスにつなげたり医療につなげたり宗教につなげたり酒のつまみで白ごはん食べさせて理屈こねて改心させたりと、様々なパターンが考えられますが、いわゆる"男女の悲惨な生活"を描く上でアルコール依存症というのは昔から典型的なものとなっています。それだけ共感しやすく、一般的にもなじみのある状況なのかもしれません。

それにしてもこの妻の行動、客観的に見ておかしいと思いませんか?そんなに暴力が辛いなら夫が酒を飲みに行っている間に逃げだせばいいのに、たとえ夫がのたれ死んだとしてもどうせ先は長くはないんだから早めに見切りをつけてしまえばいいのに、といくつかの観点から冷静なツッコミが入れられると思います。
いやいやちがうちがう、これが美しいんだよ。ダンナが落ちぶれるほどに妻はそれを支えようとする、その先にきっと救いが待っている、まさにこれが愛なんだよ、としたり顔でいう人がいるかもしれません。
でも違います。これは愛ではありません。共依存です。

まず重要なポイントとして、このままこの二人の生活を続けたとして、いったい何が改善されるのでしょうか?
すっかり二人だけの閉じた世界で負のスパイラルにはまり込んでしまい、互いに救われようとすればするほど闇は深くなり、さらに飲酒量は増え暴力はエスカレートするのは火を見るよりも明らかです。ゴールはどちらかの死、だからこそ第三者が登場することでドラマは救われる方向に展開していくのです。
妻には夫を見捨てて逃げ出すという選択肢もあります。しかしこれが意外と難しい。逃げ出した後どうするのでしょう?「"夫を見捨てた妻"と周囲から後ろ指をさされるかもしれない」「もうちょっと頑張れば夫はお酒をやめてしまうかもしれない」「なによりもこれまでの努力を放棄してしまうのが悔しい」。プライドが高く献身的な人間であるほど、またその生活に投じた時間が長ければ長いほど、逃げだすことは難しくなります。見捨てるなら早めに見捨てなければならず、そのタイミングを逸してしまうと悲惨です。
いつしか"ダメな夫を愛の力で支える私"がその人のアイデンティティになり、妻は夫に、夫は酒と妻に依存しなければ生きていけなくなってしまいます。文字通り、共依存です。

さらに考えていくとこの妻のがんばり、とても報われるとは思えません。こうしたアルコール依存症のパートナーの場合、やるべきこととしてまず思いつくのがお酒をやめさせることです。なんとしてでも夫に酒を飲ませまい、飲ませまいと努力します。酒を隠し、お金を隠し、飲む手段を徹底的に排除しようとします。もちろん夫は飲みたがるので、口論になります。飲ませろ!ダメ!飲ませろ!ダメ!の言い合いは果てしなく続き、互いを罵倒し暴力をふるい、誰一人得をしません。近所にも迷惑ですし、子どもなんかいたらさらに悲惨です。
そして夫も酒を飲まなければいいことなんてわかっているわけですから、自分がどんどん情けなくなってしまい、さらに酒に逃げこまざるを得なくなります。妻は自分はこんなにがんばっているのに、夫の酒はさらに増えていく、私のがんばりが足りないからだ、もっとがんばらないと、もっとがんばらないとと不毛な努力はさらに懸命なものとなっていきます。光に向かって進みたいはずなのにどんどん暗い方向に進んでいく様は、まさに地獄のようです。

こうした共依存の当事者たちは、一生懸命になればなるほど視野が狭くなり自身が共依存の状態にあることに気づきにくくなります。
そして周囲の人たちも「奥さんが支えてあげないともうあの人には誰もいないのよ」とか「今はつらくてもきっとまた二人で笑える日が来るから」といった、共依存者のがんばりを助長するようなアドバイスをしてしまいがちです。同情はしますが、本心では誰もそんな渦中に飛び込みたくないし、飛び込んだところで何をしたらいいのかわからないからです。
まずは冷静に状況を分析し、共依存の状態そのものがダメであることを気づいてもらわないと始まりません。しかしそれは案外と骨の折れる作業だったりします。


共依存の概念はこうした物質依存症者とそのパートナーという構図が典型的ですが、その解釈は幅広く、境界型人格障害やPTSD、アダルトチルドレンなどと呼ばれる人たちにおける過剰に献身的で依存的な人間関係にもあてはめられています。
以前にも書きましたが依存と生きがいを区別することは難しく、ましてや"愛情"といった元来ポジティブな感情に病気としての境界線を引くことはさらに困難を極めます。極論を言うと恋愛をしている人すべてが共依存になってしまうのです。

人間関係には常に問題が付きまとい、誰もがそれを解決しながら生きています。どこからが病気かを考えるより、当事者だけでは解決できない問題に対して第三者の助けを借りる、その手段の一つとして精神科があると思っていただければ幸いです。
誰もが苦しんでいるのなら、きっとどこかに救いはあります。

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