明日も精神科医

スポンサーサイト

Posted by kobayashi_kei on

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生きてることすら疑わしい。

Posted by kobayashi_kei on   0 trackback

藤子F不二雄短編集に「どことなく、なんとなく」という作品があります。(ほぼネタばれです。あしからずご了承ください)

主人公はごく普通のサラリーマン、普段は妻と幼い息子とマイホームに暮らしています。この日は休日を利用して旧知の友人と二人で登山に出かけていました。主人公は友人に相談します。ある夢、「白い夜」と名付けた夢を見た日を境に、自分の生きている世界の実感が失われてしまった、と。どこがどうってことはない、これまでとまったく同じ生活圏でまったく同じ人達と顔を突き合わせ…、つまるところ、なんの変化もない毎日が過ぎていく。それでも自分を取り巻く世界のいっさいがっさいに実感がわかない。何十億年も前から地球が存在し、あらゆる歴史や科学の証明がなにもかも自分の意識が作り上げたものだとしたら?この心細さ、この恐怖、話したってわかるまい。絶対無の空間に自分だけがポツンとあって、過去もなく、未来もなく…。

友人は応えます。君は子どもの頃から空想家だった。でもそのアイデアは君の独創じゃない、昔から似たようなことを考えた人はおおぜいいるんだ。ただしあくまで観念的な遊びの一種としてだ。観念固着(イーデ・フィクスト)!ありふれたノイローゼだよおまえさんは。目を開いて見回せよ、広がる大自然を。十年前一緒に来た時とちっとも変っちゃいない。

さらに主人公は反します。そこがおかしいんだよ。変わらなさすぎるんだよ、すべてが。あの夜を境に、まったくハンで押したような毎日の繰り返しになっちまった。サラリーマンの日常がそんなもんだなんて生易しいもんじゃない、あらゆるできごとが自分のイメージの範疇を出なくなった。それどころか最近は思ったことがそのまま現実化されるようになってきた。雨が降ると思えば雨が降り、自分がそろそろ昇進するかと思ったら内定の話が舞い込んでくる。しかし先輩が先に昇進するべきでないかと思った途端、その先輩が昇進してしまった。こんな日は悪いことが続くと思ったら車にはねられて1週間身動きが取れなかった。誰にも理解されないこともわかっている、自分はこの大都会にひとりなんだという孤独感、世界が実在するということを自分の肌で確かめるために妻を抱いたりもした。なにかにすがりつきたかったんだ。昔、きみと山歩きしたときに、「生きている!」という実感を味わえた。そのイメージが今日、きみと山歩きをしていることを現実にしている。すべては僕の筋書き通りだから…。

友人は激怒します。いいかげんにしろ!じゃあおれはお前がそう思ったからここまでピョコピョコ来たってわけか?おれはあやつり人形じゃねえぞ!おれはお前のために自分の意志でここまできたんだ!お前が天地創造の造物主だって?思い上がりもたいがいにしろ!お前がおれを作ったのなら、おれを消すことだってできるだろう?殴られた痛みも妄想か?もう一度殴られたくなかったら、今すぐおれを消してみろ!

ナイフを取り出し主人公を追い詰める友人。驚き、必死に逃げ惑う主人公…。

この後、物語はさらに大きく展開するのですが、とりあえずここまでにさせていただきます。



この作品はいわゆる"離人症"をテーマにしたお話です。人間には自分の知覚や思考、行為などが自分のものであることを実感する"自己初属性"という観念があります。これが変化することで自分自身や外の世界に対して違和感やよそよそしさ、実質的な距離感の変化を覚えてしまうことを、離人症と言います。

精神病理学において意識は大きく3つに分けられるとされ(Wernicke.K 1881)、自分自身に関する"内界意識(自己精神)"、外部と他人に関する"外界意識(外界精神)"、身体に関する"身体意識(身体精神)"に分類されます。
離人症はそれぞれに影響し、例えば内界意識が侵されると自分の体験や行動が自分で行っているという実感がなくなり(能動感の消失)、外界意識が侵されると自分の世界や他人の存在が希薄なものとして感じられます。身体意識の離人症では空腹や喪失感、喜びなどの身体感覚の実感が失われ、自分の行っている全てのことが自分のものでないような感覚に陥ってしまいます。

この物語の主人公には3種類の離人症のほとんどが当てはまっていると思われます。自らの疎外感に追い詰められ、さらに物事の自明性が明らかになりすぎてしまい、あらゆる出来事が自分の意志で予見されるという妄想的な思考に陥っていることも印象的です。

離人症自体に診断特異性は低く、統合失調症、うつ病、神経症、境界性パーソナリティ障害、てんかん、覚醒剤中毒、有機溶剤中毒、極端な疲労時など、様々な精神疾患、精神状態の一症候として現れると言われています。
他の精神疾患の要素がなく、離人症のみが長期に継続するものを離人神経症と呼んでいます。

こうした特徴から分かることは、自分が自分であるという感覚、いわゆる自己初属性は案外とブレやすく、精神的な動揺によって簡単に揺らいでしまうということです。

そもそも「自分が自分であること」を他覚的に証明することは非常に困難であり、「自分が自分でない気がするんですけど、どうしたらいいですか?」と言われたときに、その問題を根本的に解決できる返答を私は知りません。
誰もが曖昧な観念の中で生きているのです。

自分がなぜ自分であるのか?自分はなぜ生きているのか?自分はなぜ呼吸をして自分の心臓はなぜ動いているのか?なぜこの時代のこの国のこの町のこの両親のもとに生まれたのか?
根源的な問いはいくらでも作ることができますが、私たちはその回答を求めることなく、問題に目を向けることすらせずに日々を暮らしています。なにかのきっかけで意識がそこに向いてしまったとしたら、ある人は離人症となり、ある人は人生の本質を追求する哲学者となるのかもしれません。

マイケル・サンデル教授は「哲学を知ることであなたの人生は確実に変化するだろう。そして一度知ってしまえば知る前の自分に戻ることは絶対にできない」といったことを話していました。
自分を取り巻く世界、世界に取り巻かれた自分、自分の中の自分、すべてが流動的であり、刻一刻と変化し、過去の自分と同じ自分に後戻りすることは不可能です。

自分は自分であるはずなのに、自分が自分であることは自分にもわからない。いくら悩んでも掴みどころのないものであるならば、せめて寄り添って生きていくことが得策ではないかと思います。


離人症

スポンサーサイト

Trackback

trackbackURL:http://ashitamoseishinkai.blog.fc2.com/tb.php/30-3abd3212
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。