明日も精神科医

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私を支えるプライド

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プライドとは厄介なものです。えらそうな人はよく「もっとプライドを持て」とか「そんなプライドは捨てろ」と言ってきます。そのくせ「あの人はプライドが高い」「あの人はプライドが低い」という評価に込められているのは、称賛ではなくたいてい悪口です。
持てばいいのか捨てればいいのか、高ければいいのか低ければいいのか、いったい人は人に何を期待しているのでしょうか?

プライドは人に生きる力を与えます。辛い状況に陥ったときや精神を病んでしまった時、最終的に本人を回復に導くのは「より良く生きよう」とするプライドです。「本当の自分はこんなものではない。周りの人間に苦労をかけさせている自分が情けない」と思う気持ちがあるからこそ、人生を前向きに進めることができます。
病気そのものや様々な体験によりプライドまでも蝕まれてしまうと、低い現状に安住してしまう傾向があります。そうなってしまうと治るものも治らなくなってしまい、そこから持ち上げることは非常に困難です。効果のある薬もほとんどなく、治療者も家族も強い無力感を感じてしまいます。

一方で、プライドは人の生き方を妨げます。「自分はもっといい会社で働けるはず」「自分はもっといい人と付き合うことができるはず」と信じ込み、仕事や人間関係に支障をきたすことはよくある話です。受験、就活、婚活など様々な状況で見受けられますが、自分の中で最初のハードルを高く設定してしまうことで、それより下の"妥協"のラインに入る何もかもが許せなくなってしまいます。周囲からの「理想が高すぎるんじゃないの?」とあまりにも全うな指摘にさらにプライドは傷つけられ、「そんなつもりはないんだけど…」と自己防衛機制を働かせてしまうこともよくある話です。
精神疾患にかかること、精神科の治療を受けることもまた、その人に非常に大きな屈辱を与えます。自身を守るために病気であることそのものを否認し、治療を拒否し、社会復帰のリハビリにも参加してもらえないケースもとても多いです。当然ながらこうした人たちの予後は非常に悪く、大抵の場合本人が思い描くような生活や仕事はできないのが実情です。犯罪や事故につながるのもこのパターンが多い気がします。
まずは本人を堅固に覆っているプライドの檻を破壊し、自身がどれほど生き辛い状況に陥っているかを理解してもらわなければ治療は始まりません。これは双方に苦しみを伴う作業であり、相当な時間とエネルギーを必要とします。「プライドを捨てろ」というのは簡単ですが、本気で捨てさせるためにはそれなりの犠牲を伴う覚悟が求められるのです。


プライドとは、自身を支える柱のようなものです。そんな簡単に持ったり捨てたり高くしたり低くしたりできるものではありません。ただしその柱は一本ではなく、何本もが組み合わさって今の自分を支えているような気がします。その中には不必要なもの、取り外しや変形が可能なもの、古くなって腐っているものなどいろいろあるのかもしれません。
一度余計なプライドを全部確認し、整理することができたらずいぶんと軽くなる気がします。まずは見取り図を描くところから始めたいと思います。自分の心の家とか、どれほどグロテスクなのか想像もつきませんが。

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