明日も精神科医

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わかりやすい話

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初診外来での一場面。37歳男性、母親同伴。明らかな肥満体形で、ひげや髪の毛は伸び、服装も不潔な印象。表情は暗いが語調は整っており、礼節は保たれている。主訴は「母親に暴力をふるってしまう」。17歳で高校を中退した頃から自宅にこもりがちになり、何度かアルバイトもしていたが、長くは続かなかった。30歳頃から無職の状態が続いており、その頃から母親に暴力を振るうようになってきた。今年に入ってからは食事中に母親が自分に話しかけただけでイライラしてしまい、自分でも思っていないような罵声を浴びせ、殴る蹴るなどの暴力をふるってしまう。母親以外への暴力はなく、外出しても特に問題はない。このままでは母親を殴り殺してしまうのではないかと心配し、来院した。これまでに精神科受診歴はなし。内服なし。

さらに話を伺っていくと、幻聴のような訴えはなく、気分は常に落ち込んでいるが、大きな変動はなく、睡眠や食事も摂れているとのこと。現在は母親との二人暮らしであり、父親は本人が中学生の時に離婚し、最近は所在もわからず連絡もとっていない。父親は母親に頻繁に暴力を振るう人間であり、飲酒をしては大声で暴れる父親を見て本人は強い恐怖を感じていた。本人が暴力をふるわれたことはなかったが、会話することもあまりなかった。

ここまでの診察から私は「過去に父が母に振るった暴力の記憶があり、社会生活がうまくいかないストレスから半ば無意識的に父親の姿を自己に投影させ、母親に暴力をふるっていると思われる。ベースに発達障害や精神遅滞の可能性がある」と考え、知能検査や人格検査を予約しました。今後はカウンセリングなども必要となってくることを説明し、この日の診察を終えました。
ここまでで小一時間ほどかかっており、カルテをまとめて次の診察の準備をしようとしていたところに、診察室のドアがノックされました。ゆっくりと申し訳なさそうに開けられたドアの先には先ほどの母親がおり、「すみません、もう少しだけお話させてもらってよろしいでしょうか…?」と申し訳なさそうに顔をのぞかせていました。母親だけを招きいれ、再度話を伺ったところ、困り果てた表情で母親が話します。「あの子、今まで私を殴ったことなんて一度もないんです…」。おそらくとても一言では形容しがたい複雑な表情をしていたであろう私は答えます。「そりゃまた…」。


本人の話と家族の話の極端なギャップにより、診断が一変してしまった一例です。
この話はフィクションですが、実際の診療でも近いことはよく見られます。むしろ実際の診療ではさらに微妙で複雑なエピソードが多く、診断に苦慮するケースは珍しくありません。

ある問題があったとき、まずはその原因を探索することで解決への糸口を見つけます。上記の例でも母親への暴力という問題に対して、父親の過去の暴力を原因と考え、アプローチしています。こうした1対1対応の短絡的な因果関係は誰にとってもわかりやすく、その後の話も単純で比較的抵抗なく進んでいくと思われます。しかし往々にして現実はそれほど甘くないことは、先に述べたとおりです。

“わかりやすい話”は魅力的です。さらにそれが”おもしろい話”になるとその魅力は倍増し、人はそれに容易に飛びつこうとしてしまいます。
例えば歴史のエピソードでは特にその傾向が顕著と思われます。つまらない史実よりもおもしろい史実のほうがより多く語り継がれ、現在の歴史の大部分を形作っているでしょう。「有名な源頼朝の自画像は実は頼朝ではなかった」と言われると驚きとともにより真実らしく聞こえるし、「レオナルド・ダ・ヴィンチはジャンプ力がとてつもなく、馬の背中も飛び越えられた」というエピソードの明らかに盛り過ぎた感じも大好きです。

タイムマシンがない以上は過去の事実の完璧な確認は不可能であり、真実を確定することはできません。そして私たちはよりわかりやすくおもしろく説得力のある話を真実であると受け止めがちです。
しかしそうであってはならないことは、歴史においても精神科診療においても自明であり、詳細な情報収集と注意深い洞察力が必要となってきます。自らの手で未来を歪んだものにしないために、過去に対しては常に慎重な検討を行わなければなりません。


「事実は小説よりも奇なり」とは、よく言ったものだと思います。小説は書き手と読み手がいる以上、どうしても了解可能でおもしろいものである必要がありますが、事実はそんなことおかまいなしです。つまらなかろうが、完結していなかろうが、何の意味もなかろうが、それが事実です。事実が小説よりも“おもしろい”と言うのではなく、“奇”であるとのみ説いたところに先人の粋を感じます。

今日も明日も奇な現実に翻弄されています。

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まとめtyaiました【わかりやすい話】
初診外来での一場面。37歳男性、母親同伴。明らかな肥満体形で、ひげや髪の毛は伸び、服装も不潔な印象。表情は暗いが語調は整っており、礼節は保たれている。主訴は「母親に暴力を
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